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JIROの独断的日記
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2010年06月13日(日) 岩城宏之さんが亡くなって4年経ちます。今まで書いた文章を一覧にしました。

◆今でも岩城宏之さんの演奏を良く覚えています。

今日は、指揮者・打楽器奏者、岩城宏之さん(1932(昭和7)年3月2日-2006(平成18)年6月13日)の命日です。

私は子供の頃から、NHK交響楽団の演奏会を生とテレビ・ラジオで聴いて育ちました。

一番最初は、私の世代(1960(昭和35)年生まれ)だと、東京文化会館でした。

(日比谷公会堂では引き続き毎コン本選が行われていましたが、演奏会場としては、

もうあまり使われていなかったと思います)。


やがて、渋谷のNHKの隣にNHKホールが出来、N響の定期や様々なコンサートの多くは、

ここで行われました。


今のように綺麗なコンサート専用(NHKホールは紅白歌合戦もやりますし、オペラも上演するのです)

ホール(サントリー、オーチャード、東京芸術劇場、オペラシティ、すみだトリフォニー等々)が

沢山建つとは、夢にも思いませんでした。


NHKホールが出来たころ、NHK交響楽団は、

「青少年のためのプロムナードコンサート」という企画を始めました。

主に中学生・高校生の為のクラシック入門コンサートです。チケットは格安で、

学生でも行ける土日に行われました。

私は、「フィンランディア」も「ローマの謝肉祭」も「運命」も「悲愴」も「展覧会の絵」も、

数え切れないほどの楽しい音楽を、このコンサートで知りました。オーケストラの音を聴くと胸が

一杯になり、私はオーケストラが、クラシック音楽が大好きになりました。

岩城宏之さんも、何度も「プロムナード・コンサート」で指揮をなさいました。


子供心、かつ、素人目にも、ものすごく分かり易い棒で、演奏する方々は演りやすいだろうな

と生意気にも思ったことを覚えています。

その岩城さんが、実は子供の頃、正式な音楽教育は全く受けていなかった、ということは

ずっと後になって知り、大変驚きました。


◆今まで岩城宏之さんについて書いた文章(の一部)を一覧にしました。

今回、一から岩城宏之さんへの思いを綴るとキリがなくなりそうです。

慌てて短くまとめるよりも、今まで岩城さんに関連したことを書いた文章をまとめ、

リンク集にしました。駄文ばかりのお目汚しですが是非お読み頂きたいです。

今まで岩城さんに関して御存知無かったことが色々分かると思います。


まだまだ、あるのですが、あまり一度に載せても、お読みになるのが大変でしょう。

今日はこれだけにします。

あ、そうそう。意外に知られていないけれど、岩城宏之さんはベルリン・フィル定期は複数回。

ウィーン・フィルの定期もハイティンクという指揮者が急にキャンセルになり、

突如振ることになりました。岩城さんは終生、「ウィーン・フィルを指揮したこと」が自慢でした。

何しろ、世界中の指揮者の大部分は、一生に一度もウィーン・フィルに呼ばれずに終わるのです。

ウィーン・フィルから東京に電話が架かって来たとき、文字通り「飛び上がっ」て喜んだそうです。

また、いずれ折を見てご紹介しますが、今日はこの辺で。

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2009年06月13日(土) 【音楽】6月11日、リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)の誕生日でした。「英雄の生涯」(コンマス=安永徹さん)
2008年06月13日(金) <ネット殺人予告>大学生を事情聴取 大阪府警←これは、マスコミの所為でもあるのだよ。分かっとるかね?
2007年06月13日(水) 「<NOVA>一部業務停止、6カ月間 経産省が命令」←NOVAは悪い。ただ、英語を話せるようになるのに、大金は要りません。
2006年06月13日(火) 「日銀総裁、村上ファンドに1000万円」←福井総裁、残念だが辞めて下さい/岩城さんの話(続き)
2005年06月13日(月) 「宝塚―尼崎間で走行実験、非常ブレーキ再現」 ←つまり、いまだに事故の真相は不明なのだ。
2004年06月13日(日) 「集団的自衛権の行使規定を明記、自民が改憲案論点整理」 だから、自民党代議士なんてのはバカだってんだよ。
2003年06月13日(金) 「TBSが特集放送を約束 障害者団体の抗議で謝罪」それはいいんですが、発言した医者本人は何故謝罪しないのか?

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