JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆ラヴェル=ボレロでは、勿論ないのですが・・・・。 モーリス・ラベルの作品は管弦楽曲だけではなく、ピアノ曲や弦楽四重奏もあります。 ◆1999年、ベルリン・フィル恒例、「ヴァルトビューネ」。指揮はバレンボイムです。 ボレロは10分では収まりませんので、どうしてもYouTubeだと2つのファイルに分かれます。 ◆西本智実=ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムの「ボレロ」 これは、以前掲載したことがありますが、今日はボレロの聴き比べを目的としておりますので、 ◆ちょっと休憩。YouTubeで「ボレロ」を検索すると「死ぬほどヘタクソなボレロ」をヒットしますが、あれは合成です。 以前からGoogleや、YouTubeで「ボレロ」を検索すると、「死ぬほどヘタクソなボレロ」という映像が検索結果にでるのです。 ◆カラヤン=ベルリンフィルによる「ボレロ」 これは、1985年のジルベスター(大晦日)コンサートでのボレロです。 Maurice Ravel - Bolero - Herbert von Karajan 1985 - Part I Maurice Ravel - Bolero - Herbert von Karajan 1985 - Part II カラヤンが亡くなったのは1989年ですから、これは晩年の指揮で、全盛期に比べると カラヤンの指揮の動作自体は、小振りになっていますが、かねてカラヤンの持論である、 指揮とはオーケストラをドライブするのではなくキャリーするのだ という理想に近い。サブ・コンサートマスターに安永さんがいます。 オーケストラが、能動的にカラヤンの音楽的意図を察して、演奏しています。 はっきり言って、後のバレンボイムの時と比べると「気合い」というか「意気込み」が違います。 多分、これを、会場で生で聴いたら、ものすごくオーケストラが鳴っていて、すごい迫力であったろうと 思います。ジルベスター・コンサートでカラヤンが、「ウィリアム・テル」序曲を振った映像があります。 1983年のジルベスターでアップされているのは、最後のマーチだけですが、これほどの「泰西名曲」でも全く手を抜かない (それはプロだから当たり前なのですが)、カラヤンの指揮を見ていると胸を打たれます。 やはり、名マエストロだったと思います。
前段で、「カラヤン」「ウィリアム・テル」と書いてから急に思い出したのです。 第1部「夜明け」 の四つの部分で構成されています。 ご覧になるとわかりますが、ちょうど第2部「嵐」の始まりで、雨がポツリポツリと 降り始めるのを音楽が表現しているところ、再生開始後3分10秒。ヴァルトビューネ(という場所なのです)で 本当に小雨が降り始め、屋外コンサートですから聴衆が傘を拡げます。あまりの偶然に、アバドが笑っています。 もう一つ。 「スイス軍の行進」の始まりは、トランペットのファンファーレですが、そのファンファーレを吹き終えた瞬間、 7分58秒。実に良いタイミングで聴衆の一人が歓声をあげます。日本のネットで用いられる表現を使うなら、 キターッ! とでもいうのでしょうか。「待ってました!」ということですね。 普段のコンサートじゃなくて、ピクニックコンサートだから良いんです。 アバドは、一瞬驚きますが、すぐに破顔一笑します。この笑顔がいいですね。 Rossini, Guglielmo Tell Overture, Abbado/BPO (1996) 最近、日本の若いクラシック・マニアは、やれブルックナーだ、マーラだ、ショスタコーヴィッチだ は当然で、珍しい曲ばかりを探し、如何に誰も知らない名曲を見つけるか、に夢中になっている人が多い。 それはそれで結構なことです。 しかし、同時に、この「ウィリアム・テル序曲」の映像と音を見て聴いて、 「楽しい」と感じられる「素直さ」も大切だと思います。 音楽は理屈で聴くものではありません。ヴァルトビューネのお客さんは実に素直でしょ? 西洋音楽の本場、西洋の人々は「ウィリアムテル」を聴いて大喜びしても、幼稚だとか、 恥ずかしいとか、そんな下らないこと、全然思わないですね。 音楽は、楽しいのです。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2009年03月07日(土) 安永さん夫妻は、今までにも、全国の重度障害者施設などで演奏しているのですが、感動的なエピソード。
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