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2008年04月06日(日) |
カラヤン生誕100年(2)バッハ、モーツァルト、ベルリオーズ、チャイコフスキー、ワーグナー、ホロリと来る話。 |
◆はじめに:カラヤン・イン・ザルツブルグというドキュメンタリーがDVD化されます。
カラヤンのドキュメンタリー映像、「カラヤン・イン・ザルツブルク」というものがあります(ありました)。
正確には確認できないのですが、多分、1989年、カラヤンが亡くなった年にVHSビデオと、レーザーディスク、2つの媒体で発売されたのですが、
いつまで経ってもDVD化されないので、諦めかけていたのですが、今日、気付いたら、6月25日にDVD化された商品が発売されるとのこと。
これですね。→ドキュメント カラヤン・イン・ザルツブルク
値段はAmazonの方が安いけど、内容説明が載っているTowerRecordにもリンクしておきます。
これは、絶対にお薦めなんです。詳しくはまた、書きます。
◆カラヤンの演奏、昨日の続きです。
昨日書いたとおり、今日はもう少し堅め(?)クラシック音楽のど真ん中を行きます。
カラヤンというと、R・シュトラウスとか、大編成のフル・オーケストラ(しかも天下のベルリン・フィル)を振る姿が先行しがちですが、
実際には、大変レパートリーの広い指揮者でした。それだけ勉強していたということです。能書きはいくらでもネット上で見つかるでしょうから、
早速、音楽に参ります。
まずは、音楽の基礎。バッハ。カラヤンのバッハなんて余り聴いたことが無いクラシック好きも多いのですよ。
ブランデンブルク協奏曲第3番から第三楽章。
ダウンロード BrandenburgNo3Third.mp3 (5539.5K)
この曲はチェンバロが入っているのですが、昔、テレビでカラヤンがチェンバロを弾きながら指揮する「弾き振り」をしているのを見たことがあります。
カラヤンは最初はピアニストを志していたのですよ。
2曲目です。カラヤンは若い才能を発掘することにも大変熱心でした。カラヤンのおかげで今がある、と言っても過言ではない人は沢山いますが、
ヴァイオリニスト、アンネ・ゾフィー・ムターもその一人。
カラヤンに才能を見出された彼女は、14歳でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲でレコードデビューします。
これほど運の良い人はあまりいません。「14歳で」「カラヤンに見込まれ」「ドイツグラモフォンというクラシックレコードの老舗に初録音」。
しかも、勿論、「伴奏はカラヤン指揮、ベルリン・フィル」。文句の付けようが無い。
しかし、このジャケット、いいですね→ダウンロード KarajanAndMutter.jpg (45.1K)
カラヤンが微笑みを浮かべながら、ムター(14歳の女の子)に何か教えている、或いは演奏上の注文をつけているのですが、ムターは、
カラヤンと目を合わせないで、プイッとした表情。
「どこがいけないの?」
とでもいいたげです。可愛いじゃないですか。この年頃の女の子にありがちな態度。でも演奏は立派ですよ。
モーツァルト作曲、ヴァイオリン協奏曲第3番から第一楽章です。
ダウンロード MozartVlConcNo3FirstMutter.mp3 (10060.7K)
落ちついた、良い演奏です。CDはこれです
モーツァルトの生涯は1759年〜1791年。彼のヴァイオリン協奏曲は5曲ですが、皆、1775年に書かれています。16歳です。
特に3番から5番が良く演奏されますが、私はどれを聴いても、モーツァルトの青春の生命の輝き、のようなものを感じます。
コンクールでも、オーケストラのヴァイオリンセクションのオーディションでも必ず、
これらのモーツァルトの協奏曲(3、4、5番のいずれか)が課題曲に入っています。
◆交響曲から二つの楽章と、ワーグナーを一曲。
次にいよいよ、指揮者カラヤンの腕の見せ所。普通の、或いは大編成のオーケストラを指揮したものをお聴き頂きます。
ベルリオーズ作曲、幻想交響曲から第四楽章「断頭台への行進」。
ダウンロード SymphonieFantastiqueMarch.mp3 (4323.9K)
最弱音と最強音の差(ダイナミックレンジ)の広いこと。いつか、ベルリン・フィル、コンサートマスターの安永徹さんが、
「ベルリンフィルの強みの一つはダイナミックレンジの広さですが、これはカラヤンが30年かけて訓練した賜です」
とおっしゃっていました。
4曲目もシンフォニーです。チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の第三楽章です。カラヤンは悲愴をなんと七回録音したそうですが、
これは、1984年の七回目、つまり最後の録音。オーケストラは、ベルリン・フィルじゃなくて、ウィーン・フィルです。
ダウンロード TchaikovskySymphonyNo6March.mp3 (8033.1K)
クライマックスへの運び方が上手いなーと思います。ホントは全曲聴きたい所。CDはこちらです。
さて、カラヤンは1989年7月に亡くなりましたが、その二年前のザルツブルク音楽祭でワーグナーをウィーン・フィルと演奏しました。
オペラじゃなくてコンサートですけどね。そのライブ録音が残っています。余命二年と分かっていたわけではないでしょうが、
この日の演奏は、いくら名指揮者と一流オーケストラの組み合わせとはいえ、それほど滅多には聴けないほどの渾身の演奏です。
ちょっと長いと思うかも知れませんが、これぐらいは聴いてみましょう。タンホイザー序曲です。
ダウンロード TannhauserOverture.mp3 (14159.7K)
音楽が、祈るような静けさに始まり、最後にはこちらも身をよじるほど興奮させてくれます。非常に優れた作品と演奏です。
このコンサートへ向けての練習の様子も、冒頭に紹介した、ドキュメント カラヤン・イン・ザルツブルク
に収録されています。
◆帝王カラヤンの孤独。
兎に角カラヤンは録音が多く、また映像にも興味をもって積極的な活動を行い、大金持ちになりましたが、本当は孤独だったようです。
故・岩城宏之さんの「棒振りのカフェテラス」という、世界中の著名な音楽家との交友録に書いてあった話です。
既に故人ですが、有馬大五郎さんという方がおられました。国立音大を作り、N響の理事長だった(作ったといっていいでしょう)方です。
大変なインテリで、明治33年(1900年)大阪の商家に生まれ(お金持ちで、五男坊だからゆるされたのでしょうが)、
ウィーンに留学して、音楽学院で作曲を学び、完璧なドイツ語(ホントに完璧なんだって)を話したのです。
この方のおかげでN響は、サヴァリッシュ、マタチッチ、ホルストシュタイン、スウィトナー、などという名指揮者を呼べた訳です。
それはさておき、有馬さんはウィーンの音楽院で、カラヤンと同級生でした。
ずっと後年、功成り名を遂げたカラヤン宅を有馬さんが訪ねたとき、
昔話に花が咲いた後、ふと、カラヤンが何とは無しに独白したそうです(「棒振りのカフェテラス」から抜粋引用します)。
「世界中の人間は、自分のことを、これだけの地位、人気を保っているのだから、さぞや自分が政治的にも、実務的にも、
権謀術策的にも、あらゆる手を使っているに違いないと思っていることだろう・・・。そう思われていることは、よく承知している。」
と、いいながら、カラヤンは右腕をさすって、
「だがなあ、アリマ、本当はこの右手一本だけなんだぜ。この歳になっても音楽の勉強をし続けて、
この右手で表現することをやっているだけなんだ。」と少し寂しげに笑ったそうだ。
世界一の人というのは、なんと孤独なのだろう。カラヤンは少年の頃から今まで、一貫してトスカニーニを尊敬し、
トスカニーニを目指している。
私は、この本のこの部分を暗記するほど何度も読んでいるにも関わらず、毎回読む度に泣けてしまいます。
カラヤンを偲んで、カラヤン自身の演奏で最後に一曲。バッハに戻ります。
管弦楽組曲第三番から「アリア」
ダウンロード BachBWV1068Air.mp3 (6220.8K)
美しい。やはり、名マエストロです。カラヤンは。
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