JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆本(脚本)てのは、難しいものですなあ。
貫地谷しほり演ずるところの和田喜代美という女の子は、福井県小浜が故郷だが、高校を卒業したのち、親の反対を押し切り大阪へ出る。 「自分がスポットライトを浴びるのではなく、皆の世話をやく、明るい『おかあちゃん』が、本当に自分がなりたいものだと分かったから。」 だった。妊娠してそう言う気持ちになったのだという。 今日の最終回。子供を産み終わって穏やかな微笑みを浮かべる若狭(貫地谷)が映って、静かに「完」となる。 ◆不満の理由 若狭は、親の反対を押し切って大阪へ行くと言い出したとき(ドラマ開始間もない、確か第2週)、 「お母ちゃんみたいに(皆の面倒を見るばかりの人生)なりたくないの」 と云ったのである。 しかし、落語家としてのキャリアを積んで、最終的にたどり着いた結論は、 「自分はおかあちゃんみたいに、周りを幸せにする人になりたい」 ということだった。と、一言でこのドラマは総括出来てしまう。 それはそれで完結するのだが、私は、それでは、若狭にとって「落語」は何だったのさ?といいたくなる。 皆を支える「縁の下の力持ち」も素晴らしい人生なのだ、と云うことを悟る為に、何故、落語が必要だったのか?ということだ。 今までの修業は何だったのだ? このドラマの特徴と云われていたのは、ヒロイン像が従来と異なる、マイナス思考の娘だ、という設定である。 何に対しても消極的で、何をしても長続きせず、悲観的で、ドジで、無器用で、すぐにオロオロして、物覚えの悪い、 関西弁でいうところの「どんくさい」娘なのである。 そういう娘が、それでも、苦労に苦労を重ねて、他人より何倍も時間はかかったが、一人前の女流落語家になる。 私が期待していた展開は、その若狭の一世一代の晴れ舞台が、「ひぐらし亭」であった。というストーリーだった。 ドラマの大きな要素が落語であって、若狭は既に落語家なのに、最終回は、その落語をやめて、「おかあちゃん」になるのが、 ヒロインの選んだ道だった、というオチは竜頭蛇尾の感を免れない。 また、フィクションと現実を倒錯しているわけでは勿論ないけれど、徒然亭若狭という中堅女流落語家には、 既にファンがいる筈だ。若狭本人が、いくら他にやりたいこと(=お母ちゃん)が見つかったからといっても、 突如、「辞めます」とは、芸人の立場としては、今まで支えてくれたファンに対して失礼である。せめて、引退記念の高座を別に設けるべきだ。 兎に角、折角秀逸の脚本だったのに、今週(最終週)はヒロインの心理描写が不十分だったと思うのである。 あれほど好きだった落語を、妊娠したからと云ってそう簡単に捨てられるものではないだろう。 そして、辞めるか、辞めないか。いつもなら、クヨクヨ悩むのが、このヒロインの性格設定であるにも関わらず、 今週、「落語家→お母ちゃん」の決断は、全然躊躇が無かった(少なくとも私にはそう見えた)。 その心理の変化を、もっと緻密になぞって欲しかった。 全体としては良いドラマだったが、最後でやや裏切られた感じがして、残念だ。 mixiの「ちりとてちん」コミュなどでも侃々諤々の議論(?)が生じている。 「残念だ」と書きはしたが、視聴者、それも滅多にドラマなどというものにハマらない私まで、 このような文章を書いてしまう。つまりそれほど、視聴者を夢中にさせていたということだ。 その意味では、やはり、このドラマ(の脚本)は、総論としては秀逸なのだろう。 今日、DVD-BOX(5月発売)を、早くも予約してしまった。 【読者の皆様にお願い】 是非、エンピツの投票ボタンをクリックして下さい。皆さまの投票の多さが、次の執筆の原動力になります。画面の右下にボタンがあります。よろしく御願いいたします。
2007年03月29日(木) 「<赤坂議員宿舎>3分の1以上も空室 格安批判で敬遠」←国会議員の給料132万円。プラス毎月「文書通信交通費」100万円。
JIRO
|HomePage
|