JIROの独断的日記 DiaryINDEX|past|will
◆はじめに、音楽:今晩11時10分からNHK総合で岩城宏之さんのドキュメンタリーがあります。 岩城さんのエピソードはちょっと一休みしますが、その代わり、この番組を見つけました。 指揮者・岩城宏之さんをしのんで◇13日に亡くなった指揮者の岩城宏之さんをしのび、4月に放送したドキュメンタリー「生涯指揮者・岩城宏之〜ベートーベンとともにゆかん」を再び送る。このドキュメンタリーは、昨年12月31日からことし1月1日までの9時間にわたり、ベートーベンの全交響曲である第1番から第9番までを指揮する岩城さんの姿を追ったもの。冒頭では、岩城さんと親交の深かった作曲家の池辺晋一郎氏、バイオリニストの徳永二男、ジャーナリストの江川紹子さんの追悼メッセージを伝える。 ということです。岩城宏之さんは、一昨年と昨年、何と1日でベートーベンの交響曲9曲全曲演奏をしました。こんなのは世界で初めてだったのではないかと思います。 わたしは最初にこの計画を(一昨年)読んだとき、個人的には、あまり感心しなかったのです。 ベートーベンの全交響曲を「一日で」演ることに必然性が認められません。ギネスブック記録狙いみたいで嫌な感じがしたんです。 演奏する側は多少メンバーは入れ替わるだろうけど、9曲全部入れ替わるほど人を集めるのは困難でしょうから、9曲全部ではなくても、交替でかなりの曲を演奏することになる。 絶対に疲労のあまり、集中力がとぎれる、エネルギーが尽きると思うのです。ベストの演奏にはならないと思うのです。 けれども、今から思うと、岩城さんは一昨年からもうあまり長くないと悟っていたのでしょう。 岩城宏之さんは「初演魔」と言われるほど、現代作曲家の作品、それもかなり前衛的な作品を積極的にコンサートで演奏することで知られていました。 しかし、岩城さんはベートーベン、モーツァルトを軽視していたわけではなく、むしろ非常に重要な作品と考えていたのです。 「ワーグナーぐらいだとなんだか、ジャズみたいにみんなでわいわい遊べるという面がありますが、ベートーベンを演奏するときには一切そういう気持ちは起きません。妥協は許されない厳しさを譜面から感じるのです」 とどこかに書いていました。指揮者にとって、少なくとも岩城さんにとっては、オーケストラの指揮は「ベートーベンに始まり、ベートーベンに終わる」ものだったのかも知れません。 岩城さんは、そういう音楽を、生涯の終わりに、出来るうちに何とか全部、もう一度やりたい、という思いが募ったのだろうと思います。 わたしの想像でしかありませんが。 番組紹介の記事にあるとおり、岩城さんとごく親しかった人たち(N響アワーの司会をしている作曲家、池辺晋一郎さんなど)が、 岩城さんにまつわるエピソードを話すらしいですから、よろしければご覧になってみては如何でしょうか。取り急ぎ、お知らせまで。 ◆記事:フィナンシャルタイムズ(英)社説「福井総裁の謝罪」 日本では、福井日銀総裁の個人的投資に関して、大騒動が持ち上がっているが、いまだ、不法行為として見なされていない。 ◆コメント:フィナンシャルタイムズだけじゃないのですよ。 日銀総裁のファンド投資を取り上げているのは、上で翻訳したフィナンシャルタイムズ紙だけではない。 ニューヨーク・タイムズ15日付の記事(http://www.nytimes.com/2006/06/15/business/worldbusiness/15bank.html) の次の一節が最も明解に問題の所在を指摘している。 「他の主要国ではセントラル・バンカー(中央銀行幹部)は株式への投資を厳しく禁じられている。これは、公益と私利の衝突を防ぐためである。つまり、彼らが決定を委ねられている金利政策は、その国の経済成長に影響を及ぼし、ひいては、個人が所有する株のパフォーマンス(含み益、損)を左右するからである。だから、例えば、Fedの前議長、グリーンスパンは、個人資産の投資を短期国債とCD(譲渡性預金)に制限されていたし、毎年、投資行動の全てを開示することを義務づけられていたのである。」 と書いている。 どの新聞もはっきり言わないが、「日銀のルールは甘い」とちょっと(或いは大いに)あきれた、という論調である。
私はこの件に関して、13日に「日銀総裁、村上ファンドに1000万円」←福井総裁、残念だが辞めて下さいという記事を書いたので、
2005年06月16日(木) 中国「反日デモ、謝罪問題は存在しない」 ←後で、必ず吠え面をかくときが来るのです。それは・・・。
JIRO
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