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JIROの独断的日記
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2005年03月30日(水) オーケストラにもリストラ。都響が能力主義導入 逆です。人心が荒んでいるときこそ、「永遠なる美」のために資金を投じるべきだ。

◆記事:オーケストラにもリストラの波、都響が能力主義導入

 

国内屈指の名門オーケストラ、東京都交響楽団が、演奏者に有期雇用制や業績評価に基づく年俸制を適用するリストラ策を導入する。

27日、楽員組合と事務局の交渉で決まった。

 国内の楽団で、演奏者に民間企業並みの能力主義を課す例は初めて。自治体や支援企業の動向で台所事情の厳しい楽団も多く、他団体にも影響を与えそうだ。

 東京都は石原知事の号令で着手した抜本的な財政再建の中で、2001年から都響への補助金の削減を進め、当初の14億円が今年度は9億円になった。

さらに都響存続の条件として、本庁職員同様に業績評価制度を導入するよう働きかけ、都響の事務局は2003年11月にリストラ案を組合へ提示した。

 合意によると、現在の一般楽員は、3年ごとの契約雇用か終身雇用かを選択。事務局側の書面審査などで年俸額(500万〜770万円)が決まり、退職金は廃止される。ただし終身雇用を選んだ楽員には年俸に格差が設けられ、契約楽員より70万〜120万円程度、低く抑えられる。来年4月から本格的に実施し、評価基準はさらに協議する。(読売新聞) - 3月28日3時5分更新


◆コメント:こういうのを「無教養」というのだ。

 東京都交響楽団は都の組織であり、オーケストラのメンバーは形式的には、東京都の職員である。

都の職員の給料を減らそうと言うときに、オーケストラだけ例外にするわけにはいかない、と石原慎太郎は考えたのだろう。

世界の大都市は、皆、上手いオーケストラや、良いオペラハウス(当然、専属の歌劇場管弦楽団も。その頂点がウィーン国立歌劇場管弦楽団。彼らがオペラハウスのオーケストラピットから出て、ステージに上がると、ウィーンフィルになるのだ)を持つことを誇りとしている。

地方自治体なり、国が援助していないところはないし、それぞれの国の大企業がこぞって、賛助会員になっている。

「人間の存在を少しでも明るく照らし出すことが芸術家に与えられた使命である」(カール・ベーム、指揮者・故人)。


財政再建の途上だから、このような、不況が続く世の中であるからこそ、「永遠なる美」、を人間は欲するのである。

漱石は100年も前に書いているではないか。


◆夏目漱石「草枕」冒頭部より。(青空文庫からなので、注が多いけれど、ご了承下さい)

 

 山路を登りながら、こう考えた。

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。

 人の世[#「人の世」に傍点]を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。

 ただの人が作った人の世[#「人の世」に傍点]が住みにくいからとて、越す国はあるまい。

 あれば人でなし[#「人でなし」に傍点]の国へ行くばかりだ。

 人でなし[#「人でなし」に傍点]の国は人の世[#「人の世」に傍点]よりもなお住みにくかろう。

 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。

 ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

 住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。


◆だから、こういう世の中だからこそ、美しい音楽を奏でるオーケストラをもっと応援するべきなのだ。

 

 これは、別にオーケストラやその他の音楽家だけでなく、漱石がいうところの、住みにくい人の世を、たとえひとときでも住みやすくするが為に芸術と、それを生み出す、或いは演奏する芸術家全てに当てはまる。

 今のような、人のこころがギスギスしているときにこそ、一層、彼らに活躍してもらわなければならないだろう。

それを、よりによって、自分も物書きで「人の世を住みやすくする」仕事をしていたはずの(それほどの物書きではないけどね)東京都知事の石原慎太郎が、オーケストラへの資金援助を減らしているという。


◆オーケストラは資金を投じるほど、レベルが高くなる。

 

 その極端な例がアメリカのフィラデルフィア管弦楽団というオーケストラである。

 大昔、ストコフスキーという、大時代だが、格好つけることばかり考えていたような指揮者が音楽監督を務めていた。

 彼は、金持ちのマダムに大変人気があった。

 こういう人たちがどれぐらいゲージュツを理解していたか分からないが、ストコフスキーのおかげでフィラデルフィアのオーケストラは、金に糸目をつけず、高価な弦楽器を買いまくった。日本のオーケストラでは弦楽器は各人の所有物だが、フィラデルフィアは楽団が弦楽器プレーヤに貸与するわけである。

弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)はオーケストラの心臓部であるから、ストリングスの音色と奏者の腕がそのオーケストラのレベルを決める。

いくら楽器が良くても、演奏者の技術がそれに見合った水準に無ければ、弾きこなせない。

 ここでも、おカネが必要だ。給料が高ければ高いほど、優秀な奏者が集まる。

このようにして、フィラデルフィアは、多分、世界で一番カネがかかったオーケストラである。

良く日本に来るから、聴いてみるといいですよ。もの凄い音がする。オーケストラに極限までカネをかけるとこうなりますよ。という、見本である。

 私は彼らの音は、個人的には余り好きではないけれども、とにかく、オーケストラというのは、楽器ばかりではなく、優秀なプレーヤを集め、音響の良いホールで練習しなければ上手くならないものなのだ。

つまり、オーケストラは本来的にカネのかかるものであり、オーケストラで金儲けをしようとすること自体が本質的に間違っている。

 採算が取れないのが普通なのだ。だから、どの国も援助を惜しまない。


◆いやしくも世界第二位の経済大国の首都が運営するオーケストラが下手になっていいのか?

 

 だから、能力主義を採用するのだ、というのだろうが、オーケストラの団員は厳しいオーディションを経て採用される。

そして、各楽器のセクションの一番上手い奏者を首席、というが、腕が落ちてきたら、首席奏者から外される。

 選ぶときも、首席奏者とそれ以外の奏者では、オーディションの課題曲の難しさが異なる。

会社や役所のように、永年勤めたら自然に係長になり、課長になり、部長になるというものではない。

 コンサートマスターは第一バイオリンの年功序列のトップに位置する人ではない。コンサートマスターは、独立して募集して、オーディションを行うのである。


◆だいたい成果主義ってなんだよ。

 

 オーケストラにおける成果主義って、この記事を書いた読売新聞の記者も都庁の役人も、石原慎太郎も、どうやって測定するか、絶対にイメージを持っていないはずだ。

各楽器はそれぞれ演奏法が異なるし、音楽的には、それぞれに要求されるものが異なる。

 出番の多さで単純に考えれば、ヴァイオリンは、乱暴に云えば、一曲ずっと弾きっぱなしだが、ドヴォルザークの「新世界より」におけるシンバル奏者は、全曲を通じて、たった一つの音しかださない。

これを「よく働いている」「余り働いていない」と、解釈して、打楽器奏者を首にする、という愚挙に及んだら、東京都は世界中の音楽好きから、嘲笑されるであろう。

そしてまた、管楽器、打楽器では、原則一つのパートを一人で演奏する。

 1番フルート、2番フルート、ホルンは大抵1番から4番まで、と言う具合に、それぞれのパートは一人しか吹かない。それを、役人的発想で、各セクション(楽器)から1名リストラ、などということをしたら、曲自体が成り立たなくなってしまう。


◆もうからないものは、切り捨てると言う発想は、もう一度云うが無教養な人間のものだ。

カネ儲けにならないものは無駄、というのは、教養が無い人間の発想だ。

それならば、東京都美術館の名画も、全ての図書館も、全て閉鎖するがよい。石原慎太郎の本も全て資源の無駄使いだから、さっさとゴミにして、トイレットペーパーにするがよかろう。

文化的な財産は、金儲けには役立たないが、 「住みにくい人の世を少しでも住みやすくするために」あるが故に、尊い。

 全く漱石の言う通りである。


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