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2005年03月25日(金) |
「BSE安全基準を大幅緩和、国際機関が日本に原案提示」 国際基準が正しいという確証はどこにもない。 |
◆記事:BSE安全基準を大幅緩和、国際機関が日本に原案提示
BSE(牛海綿状脳症)の国際的な安全基準を巡り、国際機関・国際獣疫事務局(OIE・本部パリ)が、牛肉の輸出入規制を大幅に緩和する新たな国際基準の原案を日本に提示したことが24日、明らかになった。
5月のOIE総会で決定する。原案では、特定危険部位を取り除いた骨なし牛肉については、「どのような輸入条件も要求すべきでない」としている。
原案が承認されれば、米国はこの基準をもとに牛肉の全面輸入解禁を日本に求めるのは確実だ。日本は4月に新基準への対応を決めるが、「食肉処理時に特定危険部位が付着する可能性が残る」などとして原案に反対する方針だ。(読売新聞) - 3月25日3時10分更新
◆コメント:「外圧」に屈するのはいい加減止めろ。
先日、ライス米国務長官(IQが200なんだそうだが、目つきが恐ろしく悪いあのオバサンですよ)が1週間前に日本に来たときに、「科学に基づく世界基準がある。貿易を危うくするような例外をつくるべきではない」と云っていた。
そのちょうど一週間後に、国際機関である「国際獣疫事務局」が、「牛肉の輸出入規制を大幅に緩和する新たな国際基準の原案を日本に提示した」そうだ。
あまりにも露骨な工作である。
国際基準では生後30ヶ月以下の牛は検査しないのだそうだが、どういう論拠があって、30ヶ月なのか全く説明がない。
30ヶ月以下の牛はBSEに感染しないが、31ヶ月から、突然危険になり、検査する必要がある、ということになるの?
30ヶ月などという数字は適当に線引きしただけのことであろう。
◆食品の安全性に対する認識を国際機関に押しつけられるいわれはない。
そもそも、国際獣疫事務所が日本に何か云ってきたとしても、牛肉の安全性に対する認識が世界基準で統一される必要はない。工業規格などとは訳が違う。
食品に対する態度は各国、または、各民族、人種によって異なるのが当たり前である。
言い方を変えれば、西洋人の奴らは肉食人種。乱暴に云えば、彼らにとっては、肉が日本人にとっての米。だから肉を食わずにいられない(それでも、私がイギリスにいたときは現地の学校の給食から、牛肉が消えていたけどね)。少々BSEが危なくても食ってしまえるのだ。
一方、日本人の食べ物に対する感受性の繊細さときたら、世界で群を抜いている。
海外に行ってメシをくったことがある人なら分かるとおもうが、日本人は、食材の選び方、調理の仕方など、口に入れるものに対するデリカシーの次元が西洋人とは違うのであるから、いくら、彼ら「科学にもとづいた世界的基準」などと言っても、少なくとも、一般国民は納得しない。
「食文化の相違」、という「文化的背景」がこの問題の根底に有ることが、IQ(知能指数)200のライスでも、分からないようだ。
◆ライス国務長官に松阪牛を食わせてやったら良かったのだ。
何故、アメリカ人が、日本に対して、早く、アメリカ産牛肉の輸入を再開しろ、としつこく云うのか?
もちろん、牛肉の買い手がいないと困るからだ。しかし、それだけではない。
アメリカ人は、美味い牛肉を食ったことがないからである。アメリカ産のせいぜい、牛丼用のバラ肉しか使えない、あの肉が美味いと信じている。
この世には、桁違いに美味い牛肉が有ることを知らないのである。
だから、内閣も要領が悪いってんだよ。
ライスが来たとき、町村外相は、「国際基準にも一定の理解」を示さなければ、等と言っていたが、そんなごますりをするから、ナメられる。
余計なことは云わずに、ライス国務長官に、極上の松阪牛のステーキを食わせてやれば良かったのだ。
ご存じの方も多いだろうが、初めて日本の美味い牛肉を食った外人は、やや大げさに言えば、「随喜の涙を流し」て喜ぶ。
「こんな美味いものがこの世にあったのか」と。
ライスだって同じですよ。絶対。
そうすれば、「これほど美味しい牛肉がある国が、BSEの危険がある不味い米国牛肉の輸入再開をしたがらないのも無理はない」と、公には絶対に云わないだろうが、内心納得したであろうに。
2004年03月25日(木) 「<小泉首相>「テロあってもイラク撤退せぬ」英紙に答え」こういう人は首相にふさわしくない。
2003年03月25日(火) アメリカの目的は、イラクの大量破壊兵器を除去することだったはずなのに、なかなか見つからないね。