JIROの独断的日記
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2003年05月23日(金) |
正しい日本語。「とんでもございません」は誤り。 |
私自身、文法的に全く誤りの無い日本語を書いたり、話しているかと問われれば、否、と返答せざるを得ない。だから、日本語の文法にかなった正しい表現は何か、慣用句を間違えて使っていないか、という意識をできるだけもつように心掛けている。
テレビを見ていて、或いは新聞を読んでいて、いつも気になる表現があるので、思いつくままに書き留めておこう。
×「とんでもございません」 ○「とんでもないことでございます」
「とんでもない」は「とんでも」+「ない」ではなく、「とんでもない」でひとつの形容詞であり、「とんでもな」までが語幹、つまり活用しない部分である。それなのに、勝手に「ない」の部分を切り離して「ございません」に言い換えてはいけない。それは、たとえば、「きたない」という形容詞を「きたございません」と言うのとおなじことである。
次は世論調査の質問項目などにしばしば見られる文法上の誤り ×「憲法を改正すべき」 ○「憲法を改正すべし」又は、「すべきである。」
「べき」は助動詞「べし」の連体形であり、文末に置いてはいけない。
次は慣用句の語法上の誤り。 ×「大の大人が」 ○「大の男が」 これは、文法ではない。語法、慣用表現の問題である。「大の大人」という表現はかなり当たり前のように使われているが、本来、そういう日本語は、無い。
最後は漢字を勘違いして用いている例。 ×「独壇場(どくだんじょう)」 ○「独擅場(どくせんじょう)」 広辞苑には、独壇場(どくだんじょう)も見出しとして載っているが、独擅場(どくせんじょう)の誤読から出来た語、と記してある。
「独擅場(どくせんじょう)」の擅(セン)とは「ほしいままにする」の意味。つまり、ある場で、独りで思うままに振舞うさまをいう。
誰かが、独りで壇、つまりステージ上で好きなことをするから、「どくだんじょう」だろう、と勝手に勘違いして使い始めたものと思われる。
母国語は、誰でもよくわかっていると思いがちだが、案外、このような間違いを犯しながら、話したり書いたりしている。正しい日本語を運用するためには意識的な努力が必要である。
PCや電子辞書で英和辞典を使う人は多いが、国語辞典はあまり使わない。しかし、国語辞典は暇なときに気のおもむくままに読んでいると、色々な発見があって、非常に興味深い。
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