JIROの独断的日記
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2003年05月20日(火) |
「校長が「ドはどくろのド」 授業で替え歌、注意処分」公立小中学校の教師のレベルは確実に低下している。 |
◆記事: さいたま市南区の市立小学校校長(58)が、授業で「ドレミの歌」の歌詞を替え「さあ死にましょう」などと歌い、市教委から注意を受けていたことが20日、分かった。 校長は「ざわついていた子供たちを集中させるために歌ったが、授業で口にすべきことではなく、軽率だった」と話している。 市教委によると、同校4年のクラスで15日、出張した担任の代わりに校長が1時間目の図工授業を担当。約40人の児童を前に「ドはどくろのド、レは霊きゅう車のレ」などと節をつけて歌い、最後は「シは死人のシ、さあ死にましょう」と歌った。 関係者から指摘を受けた市教委は19日、校長を呼び「保護者の誤解を招く不適切な行為だ」と口頭で注意した。
◆所感: 上で採り上げた事件自体はどうでもよいのだが、要するにこの程度の男が校長になっているのであり、それは、埼玉県に限った事ではない。 学齢期の子供が公立小学校、中学校に通っている人でなければ、分からないだろうが、今の義務教育はひどいものである。東京では子供が公立小学校に通っている人の多くが中学受験させようとしているが、それは、学歴社会云々ではなくて、公立の教師のレベルの低さがあまりにもひどいことを身をもって知っているからである。どんなに偏差値が低い私立中学校でも公立よりはまだましだ、と言われているほどである。
私の子供が通っている小学校で以前校長を務めていた人物は、人生の目的は何か?と訊ねられたら、「責任を逃れる事」と答えるのではないか、と思われるほどの小人物だった。 子供が放課後、校庭で遊ぶときは、一旦自宅に戻ってからにして欲しいという。何故かというと、一旦家に帰ったあとであれば、例え校庭で遊んでいて怪我をしても、それは、帰宅後の時間の出来事であり、自分の責任ではなくなるから、と公言していた。そんなバカな論理は通用しない。校長は、その学校の教育はもちろんの事、学校という施設を管理する最終責任者であって、学校内でおきたことは、子供が一旦、帰宅しようが、しまいが、全て、校長の責任である。そんなことも分からない男だった。
また、同じ校長はクリスマス直前の「音楽の集い」で、「ジングルベル」を歌うことがプログラムに記載されているのを見て、顔色を変えた。それは困るという。何故かと問うと、「宗教色があるから」という、唖然とする答えが返って来た。今時、ジングルベルを聴くたびに、イエス・キリストとその教えに思いをはせる者などいない、神経質すぎると反論したら、「では、プログラムには記載しないでほしい」という。証拠を残さないため、だそうだ。
こういう事柄が数え切れないほど、全国の学校で毎日のように起きているのである。担任の指導能力も自分が小学生だった頃の先生方と比べると、悲惨なほど乏しい。当然子供の学力は低下する。それなのに、ゆとり教育などと余計な事をして、授業時間を減らし、殆ど無意味な自習時間のような「総合」などという時限を週に2度も3度も行っている。
これは、日本政府が、国民をなるべく愚かにして、支配しやすいようにする、長期的な国家的謀略なのではないか、と勘繰りたくなるほどである。
国会で、こうした問題が取り上げられたことは無い。まず、小泉首相自身、子供がありながら、きちんと育てたことがない人物であり、教育になど、関心がないこと。代議士の多くは、自分の子供は私立小学校に入れており、自分の子供さえ質の高い教育を受ければ良い、と考えている節があること、がその主だった理由であろう、と勝手に推察する。
とにかく、より優秀な人材を公立学校に割り当てる事。早い話、今は、給料が悪すぎるのだ。子供のエネルギーは物凄く、これを統率してきちんと教育する事は大変な労力を要する。そういう大変な事を他人に任せておいて、金をケチる、というのは、一番良くないことだ。
デフレ不況もさることながら、教育水準の低下は大問題である。このままでは、日本は、滅びる。
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