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JIROの独断的日記
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2003年03月21日(金) 「にわか軍事評論家」になってはいけない。戦争はTVゲームではない。人が死ぬのだ。

 イラク攻撃に関するNHKの特別番組を見たら、12年前の湾岸戦争のときに有名になった、変な髪型をした軍事評論家(兵器評論家)がまた出ていた。この度の戦争で使われている武器について、淡々と解説していた。この人は戦闘の映像をチラッと見ただけで、これは何という名前のミサイルで、射程距離はどれぐらいで、命中精度は何パーセントかというようなことをすらすらと述べる。

 湾岸戦争のときには、この人の影響で「にわか軍事評論家」になったつもりで、次はアメリカはどのような武器を使い、どのような攻撃を仕掛けるか、というようなことを夢中になって話す一般人が沢山、いた。

 当の軍事評論家や「にわか軍事評論家」達を見ていて思うのは、悲壮感が欠如している、ということである。戦争に悲壮感を覚えないのは、想像力が不足しているためである。

 何も戦争に限った事ではないが、人間という動物は、「他人の立場になって考える」能力を持っている。「思いやり」という言葉に置き換えても良い。それは、想像力に他ならない。

 言うまでも無い事だが、実際の戦争は、TVゲームの「シューティングゲーム」ではない。ミサイルが命中した場所では、人の腕や足がちぎれ、肉片となる。目玉や脳が飛び出した死体が無数に横たわる、凄惨な現場なのだ、ということを認識する想像力を働かせなければいけない。

 戦争を憎み、平和を願う心は、想像力なくしては、始まらない。


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