すきなうたいがいきくのをやめました。 おかねをたいせつにするようになりました。 ひんやりとさえたあさの、 ちかてつのいりぐちのすこしてまえに、 きょだいなちょうちょがゆっくりとはばたいているような、げんそう。 そのはばたきは、かくじつにじかんをおくらせている、 しかしぼくのあゆみはたゆまない、 そんな、とうぜんのようないわかんがせかいにはそんざいするのです。 からすあげはです。 もんしろちょうも、もんきちょうもみないなくなりました。 くうきにきせいするあぶらむしにくわれてしまったのです。 からすあげはだけいきのこりました。 からすあげははぷりずむのちからをもっているからです。 ほんのすこしだけですけどね。 だからあぶらむしにていこうすることができました。 しかし、あぶらむしによるしんしょくははじまっています。 だからからすあげははきょだいかしました。 ぼくはまよわずにちょうのせにまたがり、 ぼうけんをはじめるとよいのでしょう。 あるいは、ちょうにはなしかけ、 こうりゅうをこころみるとよいのでしょう。 あるいははっせられるりんぷんによるびょうきがまんえんし、 ぼくはあぶらむしのきょうかをはかり、 ちょうちょたいじにむかうとよいのでしょう。 ぜんぶうそです。 もうこのせかいにちょうちょはいません。 ぼくたちのはいは、あぶらむしがすくい、みどりものいろににごっています。 それでもぼくたちはいきてゆかないといけません。 いつか、そらをかんぜんにおおうほどにおおきなからすあげはがまちにまいおり、あぶらむしをしょうめつさせるでしょう。 かんぜんなよるがはじまるのです。 ぼくたちはぷりずむをほしとよび、あたらしいせいざをつくります。 そして、あたらしいしんわをかんがえます。
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