わわわんわん



作り手への感謝じゃないだろうに

2006年01月22日(日)

いただきます、と、定食なんかを前にすると手を合わせてしまうんだが。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/katei/news/20060121ddm013100126000c.html
そういうことは、ダメらしい。

ダメというより、もともと、これ、作り手に感謝しているわけじゃないよな。小学生のころは「おうちでごはんをつくってくれるおかあさんに感謝して」いただきます、と説明されたりした覚えもあるものの、コンビニ弁当にも手を合わせてから、はて、誰に感謝してんだろうとは思う。

コンビニ弁当を詰めてくれた誰かに?


そうなの。よーく考えてみると、すくなくとも今の生活では、さーてメシ食うぞ、というかけ声みたいなものなのだ。それに、自分でよそったメシなら、自分にむかって感謝なのか?おかしい。

そんで、思い当たるのが、目の前のタベモノ。どうやら、これに向かって、そりゃーこれから食うぞー、食わせていただくぞー、という感じでいただきます、なのだ。


感謝するとしたら、皿の上に乗っかってるタベモノに対してのような気がする。が、感謝しているというよりは、ハッケヨイノコッタ、に近い気分で口にしていると思う。なので、外食だろうがなんだろうが、盛大に「いただきます」と箸をつかんで手を合わせて、メシの仕切りをする。もちろん、「ごちそうさま」も盛大に唱えることにしている。


と、つらつら思い出してみると、なんだか食事のための呪文のようだ。異なる習慣をもっていれば、そりゃまあ、メシを前にして手を合わせてきまった呪文を唱えてから物を食べ、食べ終えたらまた手を合わせて呪文を唱えるように見える訳で、なんか不気味だといわれても仕方ないわ。



と、勝手に何かの呪文だと思ってしまったが、もともとどういう経緯でこんな呪文が普及したのだろう。漠然と学校給食とともに浸透したらしいとは思えるが、本当にもともと仏教の習慣だったりするのだろうか。特定の宗教だから、ダメです、とか言われてしまうと、どうやって食事の仕切りをしたものか、困ってしまう。

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