2012年01月08日(日)

■ ぼくが使えない奴だと言われるワケ。

ぼくが使えない奴呼ばわりされてしまうそのわけは、
しばしばケータイを携帯していないことにある。
携帯していてもまるで見ていなかったり、
それが鳴っても自分のではないと思いこんで出ようとしなかったり、
映画館で電源切ったら切りっぱなしであったり。
情報社会である現代、連絡が取れない奴は使い物にならないのであった。

まー、そういえばケータイで喋ったり自発的にメールした記憶はあんまりない。
たまに画面を開いてみると、カメラのキタムラだとかツタヤだとか、
メッセージRだとかどうでもいい相手からのどうでもいいのに混じって、
いま隣でテレビを観ているマダムから「どこ?」というメールが入っていたりする。
先日、横浜そごうの4階と7階で別行動していた時のもののようである。
気づけよ、その時。見ろよ、その時。

あるいは、勤め帰りのぼくに買物を頼みたくてマダムが電話をかけると、
いま彼女が電話しているその横で、ぼくのケータイが鳴っている。
床に投げ出されたバッグの山の中にそれは埋もれているらしい。
ぼくはけっこうな鞄持ちで、行き先目的移動手段によってそれらを使い分けているのだが、
その都度ケータイを移し替えるということはしない。
だもんで、ケータイは持って出ろ、バッグは出しっぱなしにするんじゃない、
あと、ひとつ買ったらひとつ捨てろと叱られる。

世の中には肌身離さずケータイを所持し、
トイレや浴室にまで持って入る人もいるらしい。
職場でも休憩時間はずっとそれとにらめっこしている者や、
勤務中さえ何度もそこに目をやらねば気がすまない者もいて、
ぼくなどには理解不能の世界が広がる21世紀ではあった。

時々ぼくは教えてほしい。
なに内緒事してるんだ?
なにをそこまで追いかけてんだ?
家帰ってからじゃダメなのか?
なんで差し向かいのテーブルの上にケータイ置くんだ?
最優先事項なのか、それ?

つーか、本読めよ。
前向いて歩けよ。
ケータイバカは映画館来んなよ (実はこれが一番腹立つ)。

あ、なんか話の趣旨がちがってきた。
連絡取れなくて、メール返信しなくて、使えない奴の話だった。
地震で避難したときも、ケータイ置いて出ちゃったしな。
それはそれで困った奴だという自覚はぼくにもある。


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