母のタイムスリップ日記
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| 2011年11月01日(火) |
母が元気だったとしたら… |
介護者の会で1人の方が話された。 殆ど会話等なくなった時 突然言われたそうだ。 「私は どうしてこんな病気になったの?」 この話を聞いた介護仲間数人が 同じ経験があると話された。
話せない日々だったと言うから 要介護4あたりである。 病識があるということだ。 聞いた仲間も「それは辛かったことでしょう」と話しておられた。
失語していても絶えずいろいろのことは考えているのだろう。 自分に向けられて話していることが理解でき でも話せないと言う状況やその通り行動できないことはどんなに辛いかと時々思う。 面倒見てもらっていることも判るだろうから心苦しく感じるときもあるだろうと思うし。
見守る家族だって何でも出来た頃を知っているだけに喪失感も強い。
時々「もし母が元気だったらどういう距離で接していたかな」と考える時がある。 元気なら 母との距離はもっともっと遠かったと思うのだ。
病にならないほうが良いが 病を得て気がついた事が多いように感じる。 情けないが 私はそういう人間だなぁ。間違いない。
介護者の会を途中で抜け出して母の帰りに備えた。 家に着いたのは 母の戻る数分前だった。 ショート中変わりなく過せたそうだ。とは言っても一泊だから。 入浴してないと報告があり 食後入浴介助。
帰宅して直ぐトイレ誘導して「大」排出。 そして水分補給。
おやつに「柿」を食べて貰った。 程なく夕食。 ショート帰りのダメージもない。
夕食も順調に食べ終えた。 いやさばの味噌煮が口の中に停滞して少し苦戦した。 いや母の方が苦戦したんだよね。 過去の経験で判っているのに出したのだから こちらの配慮不足だ。 それでも経験知から 停滞を緩める方策もある。 魚の身は少量 よく噛んだところでお茶ゼリーを少量送り込む。 これで少しずつ呑み込んでくれる。 まだこれができるから助かっている。 とにかく停滞する時には 少しずつゆっくり。 母が呑み込みを自覚してくれるように…と願う。 これが 私の取り組みだ。 体重減よりも口から食べる事を維持したい。 今の所 噎せは見られないので助かっている。
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