母のタイムスリップ日記
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2010年11月22日(月) 迷いまする


 今日は 放置していた庭木の剪定をした。
比較的軟らかな木で棘もないので楽だった。
剪定ばさみをあたらしい物に替えたのでそれも楽になった要因。

途中から雨で作業中止としたので 2本だけの剪定。
雨が降ってくれて正直助かった。
下手をするとのめり込んで 1日作業を続けたと思うのだ。

先日来 夫は「剪定しなくちゃな」と言っていた。
夫に任せるとハチャメチャになる恐れがあるので 反応しないでおいた。
今朝 夫に「植木屋さんに頼もうかなぁ」と言ったら「俺が…」という返事。自分でやった方が良さそうだと思って今朝の作業となった。
剪定する木は まだまだある。

自分の体調と空いている時間とお天気と睨めっこしながらボチボチと取り組むしかない。
高い木に梯子を使って登っての作業が 結構足煮負担を感じるようになった。まだ大丈夫だけれど 何時まで出来るかなとも思う。

先日出逢った介護者から戴いた論文を読んでいる。
彼1人だけでの論文ではないのだが「死生学」について。

私自身 自分と母のことについては あれこれと考えている。
母は 認知症の症状がある。
母が 生死の岐路に差し掛かった時母自ら医療の選択をすることは現実にはできないと思っている。
そのため 自分の事を考えながら 母の想いを探るしかないと考えている。

全て考えた通りにできる訳でない事は承知している。 
生きる意味については 母と話したこともあり 出来る限り その時の意志を尊重して行こうと思っている。

死を受け容れるとは おそらく「現在」から始まってると思う。
母と共に暮らしながら「面倒を掛けて悪いね」等周囲への気兼ねもあることに気が付いた。「苦しい事」「痛いこと」も嫌だということも知っている。
身綺麗でいたいというのも母の意思。
母が元気な間は 母の意志を探りながら微調整することになるだろう。
出来る限り母らしく最期を迎えられるように…と思っている。

今すぐ 命が消えるような状態ではないので まだ先の話だ。
でも介護って「如何に死ぬか」の見通しを持っていた方が良いような気がしている。
今年 介護仲間が看取った形は様々である。
でも その仲間からいろんな貴重な事を学ばせて貰った。

死生学の論文はまだ途中までしか読めていないが ゆっくり読み進もうと思っている。

剪定も「木」にとっては 生きる意味?生かされる意味があるんだろう。
太くなりすぎた木を倒してしまおうかとも思うのだが まだ踏み切れない。
その木の役目もあるしなぁ…。迷いまする。


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