母のタイムスリップ日記
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| 2009年09月02日(水) |
ある介護仲間への追悼 |
彼が電話をしてきたのは 数年前。 「奥様のために認知症を学びたい」と言うお話だった。 「相談があるので逢えるだろうか?」と話されて 公的な場所でお話を伺う事にした。 お逢いした時 奥様の病気の経緯や通院先や利用しているサービス等あれこれお話くださった。 その時の彼の悩みは「ヘルパーさんが 言った通りに食事を作ってくれないのでそばに着いて 食事作りの指導をしている」と言っていた。 介護の苦しさをダイレクトに言う事はなかった。 彼は 90歳になる方で80歳代の奥様の介護をなさっていた。 携帯電話をお持ちで 困ると直ぐに電話を下さった。 「高齢なのでデイサービスを利用して 少し身体を休めたら如何ですか?ケアマネさんにお聞きすれば 案内下さる筈です」と伝えたりもした。
その後デイサービスに繋がったが ケアマネが「私がようやく見つけたところですから…他に替えることは 無理です」と恩着せがましいことを言われたらしい。それ以後も トラブルがあって サービス利用が円滑に行かない様子だった。 そこで ケアマネのことを説明した。 よく聞けば 以前は事業所に所属していたが 事業所が撤退して1人ケアマネになった方だった。 1人ケアマネが悪いと言う事ではない。 たまたま そういうケアマネに辺り 事業所撤退後も替えることをしないで継続していたのだ。そして それまでは 特に困ったことも起きなかったのだろう。
結局 地域包括支援センターを紹介し 彼は ケアマネを替えられた。 彼は 事業所そのものに不信感を抱いており 地域包括にも不信感を持ち その誤解を解くのに時間を要した。
不正の臭いにはとても敏感で且つ用心深い方だった。 過去におかしいと思われたこともあって そのつど役所に申し入れをなさっていたようだった。 事実 此方で把握している事とも一致しており作り話でない事だけは伝わってきた。 彼の話を聞いていると虚言癖?と感じるほどだった。
ある時会に見えて「この会は宗教団体ではないですか?どこかの政党を支持しているとかないのですか?」と質問してきた。 利益もなく無償の活動が 信じ切れない様子だったのだ。
その辺りから 彼のこれまでの越してきた道をお聞きする事になった。 この部分は いろいろ口外できない事もあるので詳しくは掛けないのだが…。 生真面目な彼が背負ってきた重たい影の部分のお話は広大なものだった。 少し怖くなって 会の仲間も同席して貰ってお話を伺うようになった。 彼は 精神は凛としているのだが ある意味では怯えてもいた。 私達に話して 少しホッとなさって それからお仲間にも話して解決策を見出された様子だった。
彼の体調が良くない事は 歩く姿等から想像できたし 通院履歴も話してくださっていたので間違いなかった。 携帯を所持していても 使い方を間違って受け取れない事もたびたび起きたので 彼自身が「認知症ではないか」と通院なさったりもした。 こちらは 自身の体調不良 奥様の介護で疲労が重なってのことだろうと想像していた。
体調が良くない事は彼自身判っていたと思うし 1度 脳梗塞で緊急搬送されたこともあった。 高齢者世帯で救急搬送する時も ケアマネに連絡を取って ガスの元栓を外からしっかり締めて奥様を残して行かれた。火事を出して迷惑をかけられないという彼の必死の思いだった。 介護があるからと即座に退院なさったり...。
それから程なくして「ガンの手術をします。これでおしまいかもしれません」という言葉を残し またご丁寧に はがきまで送ってくださった。 もともと達筆だったのだろうなと思わせる文字なのだが その時の文字はこれまでになく丁寧にしっかりと書かれたものだった。 今になって思えば 覚悟を決めての事だったのだろうと想像できる。
退院なさった頃に此方から電話を差し上げたが 奥様が取られてヘルパーさんが介在して「電話口まででられません」との伝言となった。 それでも またお元気になられることを信じていた。
今朝 ご家族の方から電話があり亡くなられた事を知った。 ご家族のお話も伺っていた。だが お逢いした事はないし 電話で話した事もない。 遠く離れているのだが それでも会報の送付を希望された。 お父様の亡き後 ご家族が連携してお母様の介護に当たられるようだ。 奥様は 現在施設入所中。
彼が退院なさった時に 奥様とお話したが その時 はっきり応答なさっていらした。想像よりずっとしっかりなさっている印象を受けた。
彼は 沢山のエピソードを残してくれた。 そのお話で 一冊の本が出来そうなほど...。 世の中に こういう道を歩かれる方がいるんだという驚きもした。
きっとリスクを承知で手術に踏み切ったのだろうと思うが 今頃「この手術は失敗だった」と呟いているような...そんな気がしてならない。 過激なことを口走る方だったので...違う言い方をなさるのだろうけれど...。
不思議な存在だったが 彼の冥福を心より祈って...。
午前中に母の所に出かけた。 母はソファーに座って起きており そばに行くとにっこり笑顔。 トイレ誘導し「大」「小」排出。 顔を拭いて整髪してあげるとにっこり。
その後昼食介助。 程ほど順調に食べ終えた。 トイレ誘導し「小」排出。 リハビリを受けて その後zzzz。 その間に此方の昼食タイム。 戻ってみたら「寒いのか身体を動かしていましたので窓を閉めました」と職員さんから言われた。 そうか やっぱり...と思って 起こしてトイレ誘導で「小」排出。
30分経過すれば訪問介護で排泄誘導があるのは判っているのだが 母の仕草から その時に合わせた方がよいと判断したのだ。
職員が見えたときには 水分補給の介助をして頂く。 その時にも話題に上ったが 立位の時には1人介助が厳しいらしい。 また歩行介助の時にも 転倒が怖いのでがっちり介助すると率直に話してくださった。 私の介助の様子をみて「力まなくともよいのですね」とも言われていたし 立位の時も1人でやっている事に「力持ちなんですね」とも言われた。
でも そんなに力んでいるわけではない。 母の力を借りながらしているのだ。 方向性やきっかけを作り 母がバランスを保てるように誘導しているだけ。 一時期 手すりから手を放さず苦労した事もあるが 母自身のバランスが取れれば ちゃんと手を放してくれる事に気がついた。 それ以来 私の時には手すりから手を放さないという場面はなくなった。 此方が困る一つ一つには 母の不安があったのだと気がつく。 介護を何年経ても その時その時此方のペースにあわせることでの不都合を感じてしまう 至らぬ娘である。
その後 手足の爪切りをしたり室内歩行をしたり...。 久しぶりにまとめて5時間ほど母と過ごせた。 母も確実に安堵している事が伝わってきた。
そうそう水分補給後 更にアイスを口に運んだ。 甘く冷たいクリームが口に入るたびに私の顔を見つめて「うふふ」と笑う。 はっきりとした味を感じているんだなと伝わってきて とても嬉しかった。
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