母のタイムスリップ日記
DiaryINDEXpastwill


2008年06月14日(土) 足 少し改善?


今朝の地震 水遣りをしていて気がつかなかった。
家に入ってラジオから「地震がありました」と聴こえて 慌ててテレビをみた。
夫が テレビをみており「かなり強かったんだなぁ」と話していた。

それから 家事をしながら時折テレビに見入る。
しかし 情報が入ってこなかった。
いとこや友人も住んでいる地域で電話確認したい気持ちになったが こういう場合遠慮すべきとじっと我慢。

もう 夜になって 震災の地域では どんなにか不安な事だろうと思う。

午後 母の所に出かけた。
足の痛みが気になるし 入浴も…。
母は じっと頭を下げたりして 調子が良いとは思えなかった。

職員のお話に拠れば 午前中 昼食はニコニコ笑顔を見せていたようだった。
痛み止めが切れて足が痛むのか?それとも腹痛か?
聞いても曖昧で 判断が付かなかった。
話しかけて 一瞬笑顔を見せるのだが 直ぐに曇ってしまう。
ギュッと抱きしめてみても その時だけ。
少し 室内歩行をした後で「いつも頑張って偉いねぇ〜 有難う♪」と言ったら 涙がいっぱい溜まってきていた。
母も頑張っているという意識があるんだろうと感じた。
しかし「おかちゃん」以外 言葉が出ない。

歩行は 足を引きづる程ではないが 付け根から足先まで軽く押していくと痛がる。やっぱり 足なのかなぁ〜。

職員に浴室でシャワーを浴びさせたいとお願いした。
幸い 空いているというので おやつ後シャワー。

脱衣室に移動して 服を脱がせようとしたら袖をギュッと握っていた。
「あ ごめんね。ちょっと洋服脱いでみようかぁ〜」と母の気の緩みを見ながら脱衣。浴室に入る頃には 落ち着いていた。

椅子に腰掛けてもらって 足浴。
それから体を洗う。
少し嫌がったので タオルを渡して「自分で洗ってみて」とお願いした。
不信の視線を浴びせていたが 自力で体を洗い始めた。
こちらは背中から洗う。
シャワーで洗い流してから 頭の後ろ側にちょこっとシャワーを掛けたら…。
「これが 1番嫌なんです」とはっきりとした言葉で言った。
「ごめんね」と声を掛けて タオルをぬらしてゆっくりと頭を拭いていく。
これだと強く嫌がらない。
歌を唄ったり 話したりしていたら「話さないで!」と訴えたので 話すのをやめてシャンプーを頭に塗って ごしごし。
そんなことを繰り返しながら 何とかシャンプーも済ませ 再度シャワーで流して終了。終われば 安心したような表情になる。
「ごめんね。嫌な事して。浴我慢してくれたね。有難う」と数回伝えた。

洋服を着用した頃には 何事もなかったようになっていた。

居室でドライヤーをかけて 持参したお茶で水分補給しホールに移動したら もう夕食だった。
定刻何だけれど でもきっと母のために少し待ったのかも知れないと思い できるところまで食事介助。

3分の2ほど食べ終えたところで 職員にバトンタッチ。
そうっと施設を後にした。
気になってた体を洗ってあげられ良かった。
10日ぶりと思う。
シャワー浴にしたのは 足の痛みがあるようなので用心のため。

家に戻ったら 友人から電話が入っていた。
折り返し電話をしたら 地震地域の友人と連絡が取れ無事だったという事だった。そして 月曜日に 家元の所に用があって こちらに来るけれど逢える?という聞かれた。
残念だけれど 時間の余裕がないのでお断りした。

夫が帰宅して 友人が両親にグループホームに入所して貰ったという話を聞いた。なんと一月25万円。二人で毎月50万円の出費だそうだ。
離れて暮らされて 何となく認知症気味というお話を伺って居たけれど 引き取られて介護なさっていらしたことは知らなかった。
決めるまでに 悩まれた事だろうし 更に費用も大変なことだなと感じた。
よく空いていたなとも思うけれど 費用の高いほうの施設だから空いていたのかもしれない。
他のグループホームも終の棲家というよりも特養入所の通過施設になっているみたいだ。
なかなか 厳しい現実である。


はな |MAILHomePage

My追加