母のタイムスリップ日記
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2005年04月21日(木) 手術 家族の選択


母のリハビリの日なので施設に向かった。
朝食を終えて いつものようにテーブルの上をなぞっていた。
後ろから頭を撫でて ご機嫌を見てみると 今日は「あれ 誰だろう?」と言う反応だった。
「おはようございます」と言うと「おはよう。ここに座りなさい」と言う。
隣に座ると「ありがとう」と言った。

のんびりも出来ないので居室に戻りトイレ誘導 洗面。
とりあえず問題なく終了。
ついでにタオルを洗濯した。

そこに療法士さんが見えてリハが始まった。
今日は 眠ることなくその割りに落ち着いてリハを受けた。

その間にオムツの始末をしたり居室の拭き掃除をした。

リハが済んでから 散歩に出た。
川べりに咲くスミレを指して「綺麗だね♪これはなぁに?」と聞くと「スミツボ」と言う。でも何処かでおかしいと感じるのか変な顔をした。
「スミレだね」と言うと「うん スミレ」と言う。
それからは スミレとちゃんと言えた。

ふと 暫く前まで涙を零した日々があった事を思い出した。
今は 泣く事も大分少なくなってきている。
これは 排泄がうまく行きだしただからだろうか?
それとも 何処かに小さな脳梗塞が出来て記憶が今ひとつ消えてしまったのを感じての涙だったのだろうか?
哀しそうな表情に出会わない分 こちらの気持ちも穏やかでいられる。

自力での排泄が出来なくなる事も 病の進行と考えれば致し方なく受け止める事が出来る。しかし 訳も判らない涙に出会うと「どうしたのか?」と把握しきれない自分がとても情けなくなり また母の胸中を思うと切なくなってしまう。。。

CTやMRIで検査しない限り はっきりとは言えないが…。

でも脳出血後 徐々に落ち着いてきた事を考えると落ちた能力を自然に受け容れられるという事も有るのだろうと思う。
介護者が変わらず側でサポートできれば 落ちた能力をカバーできて辛い思いも吸収できるのかも知れない。

今日も良く歩けた。
前屈みになって行く事はあっても「疲れた」という事はなかった。

散歩から戻った時 入所者がシンビジュームの花を摘んでいた。
先日家のシンビジュームを運んだのだ。
「あらら…」と言ってしまってから「しまった」と思った。
本人は悪い事をしていると言う認識はないのだから…。
職員が直ぐ飛んできたので「気にしないで下さい」と御願いした。
職員も責めることなく「綺麗よね。摘んだお花貰えるかしら…」と対応してくれた。
「綺麗だものね♪」と言うと ご本人「ちょっと いたずらしてみた」と緊張することなく笑っていられる様子をみてホッとした。
 
トイレ誘導したら昼食の時間となった。
昼食はエビフライだった。好物に箸を運び出したのでそうっと施設を後にした。

家に戻り 介護者ネットワークに向かった。
今日はイベント企画の会議である。
少しずつ 具体化されてくる。
それぞれの地域の介護家族会の人が作り上げるイベントは 今はないと思うという事だった。
細かな事が決まるまでには あと少しの時間が必要かな?

ネットワークの会をお休みなさっていた方が久しぶりに顔を出した。
90を越える認知症のお母様を介護なさっている男性である。
いつも車椅子にお母様を乗せてはるばる会に出向いて来られる方である。
この方のお母様に癌が見つかり手術なさったと伺っていた。

癌をいかに処置するかの課題が大きく立ちはだかったと聞いていたので お話を伺った。
かかりつけ医の診断は開腹手術という事で セカンドオピニオンを使ってみたらお腹に穴を空けての手術と言われたそうだ。迷っていると とてもよく動いてくださる看護士さんが良い医師を紹介してくださったそうだ。
結果 ダメージの少ない切り取り手術になったそうである。

癌をどう処置するか…身体的ダメージを少なくするための方法を行く通りも考えられたようだった。
最後に内科医は 認知症の捉え方が今ひとつ甘い…と感じられたという事だった。
認知症の人の病の併発は大変な事が多い。
手術のリスクと余命との睨めっこ…。この課題は ほんとに難しいと思う。
また 詳しくお聞きしたいと思っている。

夕刻となってしまい 急ぎ家路に着いた。

明日は地元の局で家族のことでの収録がある。


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