この前の診察では不安な気持ちを聞いてもらいました。何がどうなっているのかわけが分からないのです。
 霧がかかっているのは1年半か2年かそこら。ブランクは1年弱?おっきく開くとどうも余計に忘れてしまうようです。
 ほっといたら思い出せる分だけ思い出せるでしょう。無理はしないしない。

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 父君と旦那君、それぞれ違う人間ですが、傍に居る事自体に罪悪感を覚えると言う所で共通しています。
 父君の出来事が先なので旦那君に同じ感情を覚える事に対してフラッシュバックを指摘されるわけですが、指摘されずとも私もかなりそこら辺には注意しているわけで、注意せずにはいられないわけで、常に個人を見るようにとりわけ気を配って生活しています。

 旦那君の素行は旦那君のもの。私の父君が旦那君にそうさせているわけではありません。けれど私という曖昧な存在が、事実を有耶無耶にしてしまうんです。
 父君抜きにしてギリギリな所まで旦那君単体と向き合っても、私という人間は、父君との生活で迷い続けた私という人間は、やはりどうしていいのか分からないことには変わりないわけで…。

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 先生から「お父さんは死ぬ瞬間、本当にあなたの事を恨んでいたでしょうか?」と言われました。
 Y記念病院での危篤の際、意識はなかったと言われたのですが、強烈に意識されていたこと。
─────多幸感
 危篤の際、家族は誰一人来てくれませんでした。電話口で怒鳴る看護士さんの声は聞こえていました。目は見えなくなっていたけれど、音が異常によく聞こえていたのです。
「もういいです。今は私の家族はこんなことになってしまったけれど、今の私はうれしかった事の多さに驚いているのだから」
 体も動かないし、声も当然出ないのですが、そんなことを考えていました。

 即死ならいざ知らず、多分父君は死ぬまでに30秒はあったはず…。
 私は最低な娘だったけれど、でも、少しは何かできたかな?そのことを思い出してくれたかな?

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 なんだか暗い日記なので後で削除します。ごめんなさいね。朝から何だか憂鬱なのです。
2007年09月18日(火)

寝言日記 / 杏