経る時・・・
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日が経ちました。「経る時・・・。」を書き始めて
日目です。
2008年07月24日(木) |
本来ならば、今日は僕の命日。 |
43年前の今日。僕は、胃腸関係の病気を患い病院に運ばれていた。
病名は、腸重積症だが、普通、生後6ヶ月程度から、2歳くらいまでに発症するのだが、 僕の場合、生後38〜39日で、発症したので、治療が難しかったようだ。
今でも、腹部右側に、12針の大きな傷痕が残る。
今でこそ、早期発見で治る病気だが、その当時、あるいは、それ以前は、死の病。 事実、うちに来ていた、父の知り合いが、同じ病気で子供さんを亡くされている。
子供の頃、よく、「おまえが生まれた頃は、大変だった」と散々聞かされたが、 確かに、30歳と25歳の夫婦では、動揺しただろう。
運には恵まれていて、その日は土曜日。師田医院という、かかりつけは、先生が不在。 偶然、インターンがいて、久保田胃腸外科という医院に転送してくださったのだが、 高圧浣腸にても、軽快せず、東京大学付属病院に転送された。久保田胃腸外科の先生も、 一緒について行ってくれたそうだ。
病院に着いても、母は、車から降りられなかったらしい。
乳児ゆえ、手術も難しく、母は、「もう、助かる確率は少ないので・・・」というようなことを言われたようだ。 熱が41℃前後まであがり、冷やしたら下がりすぎてしまい怒られたとも言っていた。
1人の先生が、元気に泣いているから、やってみようと、手術をしてくださり、何とか生還。 だから、今でも、僕のお腹は、まともな位置に腸が無く、左下の方は空洞だ。 そのせいか、頻繁にお腹をくだしてしまう。
この後も、2歳10ヶ月で、また同じ病気にかかり、今度は、高圧浣腸で治った。 (高圧浣腸というのは、バリウムを注腸する)
昭和40年の7月24日の晩から、翌朝までは、とても大変だったらしい。 下手すれば、死んでいたのだろう。
体重が出生時に4050gも有ったのも幸いしたらしい。
僕が、一昨年、昨年と、悪性髄膜種に罹り、危機的な状況になっても、何故、希望を 失わないのかと尋ねられるのだが、たぶん、その根底には、こんな生まれた頃の 体験が、あるんだろうと思う。
何にせよ、僕は今、生きている。そのことに感謝。
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