2002年04月19日(金) |
たとえば明日世界が終わったとして |
夕方から出かける。 妙にあったかい一日だった。
家の庭で、こないだから紅い牡丹が咲いていて、もうすぐ白い株も咲くみたいで、 ちょっとうっとり。植物の生命力ってすごい。 既にツツジもサツキも満開で、八重桜が散り遅れてなるものかと花びらを積もらせていて、 あぁ、凄まじいなぁ、と思う。
そして夜は朧月なのだよ。 夜気が濃くなってきて、もうそれだけで酔いそうな春宵。良いねぇ。
今日も電話は来なかった。 なんだか少しずつ、衰弱していく気分。 僕は僕は必要のないものですか、と、嘆いたりはしない。 ただ、 「今僕が死んでしまったら、あのひとは後悔するかもしれないな」なんてことを 不意に考えてしまう自分がちょっと痛い。
詩を書く人は、心を言葉で表しすぎて、言葉が無くなることに怯えているように見える。 ・・・ってゆーか僕か。それは。 どちらにせよ、 僕はもうこの心自体ではあのひとに負けてしまっていることが分かっているから、 言葉を尽くさずには居たたまれないらしい。
もう少し、人間らしい心を持ちたかった。
アサガオは咲かないまま逝ってしまった
四角い植木鉢が護る 華奢な苗は いつも陽を浴びすぎて萎れていた まるで水を 喘ぐように ひび割れた土の上 丸く支柱に絡んだ細い茎を 白茶けた葉が覆って もう風の声なんか聞こえないね と 微かに 笑っていた
どれだけ 代を重ねても 揺るがぬ大木になることはなく 冬を越す幹を 手に入れることはない ただ夢に見る 春も秋も冬もない空を 小さな黒い種子に 還ることのない熟れた日々を
ゆずれぬ心があるのなら いつかは 歪むこの茎も 萎える葉も 揺るぎなくここに 立つだろう なお諦めぬ希望があるのなら やがては 繊弱な根も地に張りめぐらそうから
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