2004年07月24日(土) |
時間をはずした日の祭り |
今は実家。
明日、母の49日法要があり、朝から岡山へ行く。
今実家にいる母ちゃんの骨をお墓にいれるってことだ。
「なおちゃん。 おかえり 」
はじめて会ったとき、母はそういって出迎えてくれた。
いまから6年前の話だ。 その瞬間、私に実家というものができた。
父の再婚相手として家に入ってくれた母は、 私に家族を味わせてくれた。
末期ガンで入院している母を見舞うことで 小学校3年生のときから離れて暮らしていた父と私が 新しい関係を築きはじめることもできた。
家族を強い絆で結び付けてくれたのは、血のつながりのない母だ。
「ありがとう」をいくら重ねても言葉では伝えられない想いがあること そんなことさえ、母は教えてくれた。
親友カネコネカからメールが来た。
『今までの人生でこころの底から「俺は今、自由だ!」 って思った瞬間もしくは時期を教えてください』
一晩考えて、メールを送った。
『 子供の頃は何にも考えずにいて、自由を謳歌していたんでしょうね。
うおー!自由だぁー! って感じているときは、 まだほんとうの自由じゃない。
短時間の「自由」とか 猶予つき「自由」。
自由とかそういうことすら感じなくて ただひたすらに自分のありのままでいれることが、自由かな。
ほんとの自由は、自分自身からの解放やね。 』
明日は、マヤ暦の「時間をはずした日」だ。
一年に一日、時間や現代文明の概念から、自分の精神を解放する日。 この日、アーティストたちは祈りをささげる。 世界中で祭りがくりひろげられる。
自分自身の表現を突き詰めてゆくことは、祈りに通じている。 世界各国で、多くの人が祈りをささげてきた。
私にさまざまなものを教え、残して行ってくれた由里枝さんが 7月25日にお墓に入る。 そのことは、不思議でもあり、当たり前のことのような気もする。
そして私は毎年、母への祈りの気持ちとともに 時間をはずした日をすごすことができるのだ。
ありがとう
あたらしい年がはじまるよ。
その前に、時間をはずした日を十分に味わおうね。
でもね、いつだっていつだって 心に刻むべき瞬間を、私たちは生きている。
その瞬間を大切にね。
自分のこころとともに歩いていきましょう。
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