2003年09月13日(土) |
オノレの道をゆくもの同士には 言葉など必要ないのだ |
たましいが揺さぶられた。 こんなバンドがこの国にいるのならば、 私は歌う必要はないなあと、はじめて思わされた。 喜納昌吉でも、スピッツでも、そんな風に思わされたことはなかった。
エレファントカシマシのライブ。 9月5日の日記に書いたけど、12年ぶりか、13年ぶりかよくわからん。 数字に弱いから、私。
言葉という記号はくそったれなもので、 ほんとの感動を伝えるには、足りないし、多すぎる。 私が音楽ライターにならなかったのは、そういうことだ。 多分。
「俺のせいなの?」「いやいやこういうものだ」 おいオマエもう一回 再生だ いい古されてしまった言い方で悪いが おい俺もう一回 帰ろうよ
オマエはオマエ自身の中へ 帰ろうよ 帰ろうよ どこへ?
「どこへ?」
「俺の道」のすべての曲を演った。 ガストロンジャー、ファイティングマン、も。 真のLIVEだった。
何度も何度も、思った。 やっぱり私は、私のままで、あるがままで行こうと。 エレファントカシマシはすごい こんな男がいることに衝撃を受けながらも、私もすごいって思った。 自分の生きてきた道は間違ってなかったよ。
ライブが終っても、誰とも話ができそうになかった。 沖縄でもビートルやジャンキーやひるぎがライブをやっていた。 電話やメールが入ってたけれど、 もうどんな言葉もでてこずに、ただただ余韻を楽しんでいた。
チキンのすぐ横、生田神社の階段に座って風に吹かれていた。
火星が、美しく怪しく光り輝きつづけていた。 ずっとずっとそれを眺めていた。
終演から二時間以上たった頃だろうか、 右手の入り口から、そうチキンジョージの方向から 5名の男がしずかに歩いてきた。
宮本だ。
エレファントカシマシだ ・・・・
今夜、私の魂をワシ掴みにして高みにいざなった男どもが歩いてくる。 ほんのすぐそこまで。
話しかける言葉さえもっていなかった。 その必要さえもなかった。
私は、ありったけの敬意を両拳にたくして 乾いて心地よい風のなかに、黒い空のなかにかかげた。
彼らは神社の駐車場に止まってたバンに乗りこんだ。 私は階段に座ったまま、 誇り高い男どもを、静かに熱く見送った。
彼らの車が走り去っていった時 私は、13年前の自分と対峙していた。
あのとき、私は16才。 バナナホールではじめて彼らの演奏を見た。 ライブハウスの一店員として。 けれど、ライブがはじまった瞬間、仕事なんてできなくなった。
ほんとうにやりたいことをやるのだと、めちゃくちゃだった家を飛び出した。 けれど、なにをやりたいのか、なにができるのか、ちっともわからないまま、 音楽にふれていたいというその想いひとつだけを抱えライブハウスで働いていた。
凄まじいLIVEを終えて帰ってゆく彼らを、今日と同じように見送った。 なんの言葉もかけることができずに。 こころのなかで、ありがとうとくりかえしながら。
あれから13年。 私は、激しく熱く愚かに強く弱く醜く美しく、 自分の声の命ずるままに生きてきた。
彼らにかける言葉は、ない
エレファントカシマシにかける言葉など、きっと一生浮かばない。
オノレの道をあゆむもの同士には ことばなど 必要ない
私は私の道をゆくのみだ
|