こころの大地に種をまこう 春名尚子の言霊日記

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2000年11月27日(月) 一日24時間が祈りなのだ


 今日は日曜日。変な時間に眠ったせいで、こんな時間までおきてしまった。

 夕方、近所の公園にいって、本を読んでいた。
 中身はぜんぜんネイティブ・アメリカンとは関係のない話しだが、
 それを読みながら、ふと思い浮かべた言葉がある。


 「一日24時間が祈りなのだ」


 ローリングサンダーというネイティブ・アメリカンのメディスンマンの言葉だ。

 私がはじめて読んだネイティブ・アメリカンに関する本は、北山 耕平さんの「ネイティブ・マインド」〜アメリカ・インディアンの目で世界を見る〜という本だった。
 北山耕平さんは、翻訳家としても本当に素晴らしい本をたくさん日本に紹介して下さっている。

 「虹の戦士」「レイム・ディアー(インディアン魂」「ローリング・サンダー」

 なかでも「ネイティブ・マインド」と「ローリング・サンダー」は、私がそれまで持っていた価値観に対して疑問を抱くきっかけになった、大げさに言えば生き方を変えてくれた本だった。


 普通に生活する中では、「祈り」なんてことは特別に意識することはないだろう。「いのり」なんていうと、宗教がかってきこえてくる。

 だけど、「祈り」というのは、インディアンだけではなく、世界中のネイティブにとっては、生き方そのものだ。私たちが忘れがちな、感謝の念、それがかれらにとっては祈りで、すべての瞬間が感謝という祈りとともにある。


 もし、現代社会を生きる人たちが、いろんなことに感謝をするようになったら、それだけで世の中はかわるのに、とも思う。まずは自分からはじめてみようと、瞬間瞬間をいろんなことを意識してみようと思うけれど、すぐに忘れてしまう。

 だけど、食事をするときくらいは、ゆっくりとありがとうってきもちと一緒に、食べ物を口に入れれば、それだけでもなにか変わっていくように思う。この食品がどこから来たのか、どのような行程を経て、食卓にあがったのか。そのことを考えるだけでも、なにかが変わるだろう。今は肉も魚もスーパーでパックに入って売られているけれど、少し前まではちゃんと生きていたのだ。野菜だって、生きていたんだ。

 その生命を殺して食べることによって、私たちは生きている。いのちを殺さずに、生きていくことはできない。だけど、意識して食べて栄養にすることでその生命を供養することもできる。無意識に食べてただの贅肉にすることだってできる。

 ほんの少し意識を変えるだけで、いろんなことが見えてくる。祈りなんて気持ちは、そういうところからはじまる。


 「一日24時間が祈り」

  というのは難しいが、一日のうちすこしずつ意識していく時間が増えていけば、いいかなーーと、そう思った日曜日だった。


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