2003年11月12日(水) : ゲージュツと猥褻

……まあ、この辺、物議をかもすことはあっても、結論が出るもんではないと思うんですが。
近代小説に限って言えば、『チャタレイ夫人の恋』(だから濃いと一発変換するなっつーのに)の頃から。
どー考えてもポルノだろーなんて小説も、時間の経過とともに「文学」扱いされちゃったり。まあ、文学史なんて不勉強な人間が一席ぶつのもおこがましいですが、所謂「中国四大奇書」の一つ、『金瓶梅』なんて、完全にポルノでしょ。「文学的に」表現されてるだけで、内容は……。
『西遊記』なんかも、解釈の仕方によって、ポルノグラフィが隠されている、という話は興味深く読みました。
中国では、明代から清代にかけて、密かにポルノ小説が流行った、という裏面があったり。

江戸時代の通俗文学と言われるジャンルも、結構露骨ですしね。
十返舎一九の『東海道中膝栗毛』なんて、フツーに読んでもアレですが、実はホモ話だ、と解釈も出来るそうで。

まー何の話だ、っつーと。
Web上における、十八禁のライン、です。
個人的には、十八禁か否か、っていうのは。まあ、ストレートに言っちゃうと、セックス行為を書くことを目的にしてるかどうか、です。要するに、ヤるだけ、の話。セックスが副次的なものでなくて、主体であること。
別に性行為云々だけが、年齢制限のラインではないんですが。かつてはPCエンジンゲームの『リンダキューブ』が、性に関する内容無しで、年齢制限ついたみたいに。(どーでもいいが、某出版社の某雑誌は、もはや少女漫画じゃねえだろ)
大体、「十八禁」と銘打つのは、基本的には性関係ですわね。

回避行動。
一つの目印。目安。
見せちゃ駄目、とゆーよりかは、自分の責任で見るかどうか決めろ、それでショックを受けてもこっちは知らん、と。
年齢開示による請求制にしたって、年齢騙られたらどーしよーもないですしね。(大体の年齢は文面に表れてくるもんだが)
別に性を否定しません、私は。人間の生理的欲求なワケだし。ただ、それをあからさまにされることを喜ばない人だっていることも、やっぱり頭に置いておかないといかんわけでしょう。表現の自由もあれば、選択の自由もあるわけです。

現在、うちは年齢制限するよーなものは、一つもおいてないわけですが。
これから置くのか? といわれると、「……さあ?」と答えるしかないですが。
もっとも、小説の方、そっちの方面に「痛い」エピソードがどーしても出てくるんですけどね。それを考えたら、ふと表題のことを思いついたのです。
自分の小説がゲージュツだなんて、口が裂けても言えませんが! 閻魔様にした抜かれても言えませんが!←そもそもの前提が間違ってませんか。
『華京』は、一切そういうのないけど、中国モノっていう時点で、ある程度の年齢弾いてるよなあ……。

えー本日の内容は、恥じらいも慎みも無くてすんません。暴走してます……。









前日 目次 未来
荒野 龍輝 メニューに戻る