さいごのたたかい

 朝からにょらは自分で歩き回ったりして、なんだか元気そうだった。

 おしっこを量る。いつもは点滴の量よりやや少ない程度だったのに、きょうは50mlも少ない。回数は十分だったけど……。あすもまた少なければ先生に相談しよう。

 点滴はいつもどおりわたしのベッドで開始。いつもは1日中ベッドなのに、きょうは10時前にトイレに連れていったあと、自分で別の部屋へ行った。そしてキャットタワーの中へ。う〜ん、ここへ入られると出すのに苦労するから、ごはんとか困るんだけどなあ。まあいいか。

 でもトイレはしかたないので、午後2時に引きずり出して連れていく。ついでに強制給餌。今度は自分でパパさんチェアに乗った。そしてカバーの中にもぐりこんで、おとなしくしている。

 3時すぎにちょっとカバーをめくって様子を見ると、なんだか呼吸が速い。お腹がせわしなく上下している。日曜なので病院は3時までだけど、心配になって電話してみた。院長先生は手術中だからと別の先生が出てこられた。点滴のスピードを聞かれて答えると、その半分の速度にして様子を見てくださいとのこと。そこで、以前先生に、点滴のスピードが速すぎると肺に水がたまる肺水腫になることがあるといわれていたのを思い出した。まさか……。でも先生にいわれたスピードは守っている。なぜか流れが悪かったりにょらがチューブを踏んでいたりしてスピードが遅くなることはよくあるけど、きょうは調子よく流れていた。でも速くならないようにだけは注意していたはず。おしっこのことを聞いてみると、体内に吸収される分もあるので、全部外に出るわけではないといわれた。

 電話を切ってから、ネットで肺水腫の症状について調べてみる。「呼吸が浅く速い」――当てはまる。「咳をする」――これは大丈夫。

 点滴はあと50ml残っていたけどもうやめにした。5時半ごろまで様子を見たけど呼吸は落ち着いてこないので、また病院に電話して連れていくことに。レントゲンの結果、やはり肺に水がたまっていた。でもそれほど多くないということで、利尿させる注射を打っていただいて帰った。

 体温が低いからとにかく暖かくしてやるようにいわれたので、帰ってすぐホットカーペットをつけてにょらを寝かせ、上からにょらの好きな綿入れ半纏をふわっとかぶせる。しばらくずっとそばについていたのだけど、ほんの1分ほど目を離したすきに、にょらがいなくなった。探すとパパさんチェアの後ろの床に寝そべっていた。夏の暑いときによくいる場所だ。しかも口を開けてゼェゼェいっている。すぐに病院に電話。また連れていくことになった。

 にょらのために小さいホットカーペットやブランケットを買いにいっている夫を携帯で呼び戻し、バトンタッチで車に乗り込み病院へ。運転しながらわたしは「にょら、まだだよ。まだだめだよ。置いていかないでよ」といい続けていた。

 病院に着くとすぐににょらは酸素室(透明の箱)に入れられ、利尿剤か何かの点滴をつけられた。わたしはその前にすわってにょらを見守る。にょらはお腹をつけて頭を上げた状態(伏せの格好)で口を開けてハァハァいっている。いつまでたっても呼吸は落ち着かない。そのうち、立ち上がって向きを変えては倒れこむというのを繰り返しはじめた。とても苦しそうだ。先生に告げると、注射器で点滴のチューブに利尿させる薬を入れてくださった。

 腎臓でおしっこが作られなくなってきているので、このまま出ないと水がたまる一方で危ないらしい。

 それからもにょらは、しばらくじっとしてハァハァしているかと思うと、立ち上がって向きを変え倒れこむというのを繰り返す。苦しくなると動かずにはいられないようだ。暴れるとよけいに苦しいのに。こんなに苦しんでいるのに何もしてあげられないのが辛い。にょらもなぜ助けてくれないのと思っていたことだろう。しかし一度、暴れている途中に目が合ったとき、にょらの表情が一瞬なごんだように見えた。

 身を切られる思いでわたしが見守る中、にょらは立ち上がって苦しそうに上を向き、目を見開いて「ぎゃあ」と一声短く鳴いたかと思うとバタンと横向きに倒れた。そして手足をつっぱる。看護士さんに頼んで先生を呼んできていただいた。そのとき呼吸が止まっているような気がした。にょらの口に酸素マスクがつけられ、注射だのニトロだの心臓マッサージだのと懸命の蘇生が行われる。にょらの頭の下のシーツが少し赤く染まっていた(あとから聞いたところでは、肺から戻ったものらしい)。しっぽは倍ぐらいにふくらんでいた。

「にょらちゃん、がんばれ」と声をかけてみたものの、今までこんなにがんばってきたのに、これ以上無理させるのは酷な気がした。「もういいです、楽にしてやってください」と何度もいおうと思った。でもその勇気もなかった。

 ふいに呼吸が戻ってにょらが動く。そのあとのどに酸素を送り込むチューブをさしこまれたが、にょらが暴れて長く続かない。また酸素マスク。

 電話して夫を呼んだ。

 しばらくするとにょらは暴れなくなり、ぐったりと横になっていた。看護士さんが酸素マスクをにょらの口にあててくださっていたが、わたしに持たせてくださいとお願いした。もうこれぐらいしかわたしにできることはない。看護士さんの押すポンプに合わせてにょらのお腹が上下する。もう自分では呼吸できないのかな。もしかしたら心臓も止まっているのかな。夫が到着するまでという心遣いなのかもしれない。わたしはにょらにかけてやる言葉も見つからず、ただ涙を流しながら酸素マスクをささえ続けた。

 やがて夫が到着。ふたりでにょらの頭や体をなでながら見守る。夫はしきりににょらに声をかけている。規則正しいポンプの音とともに、看護士さんの鼻をすする音が聞こえた。ああ、泣いてくださってるんだ、とわたしは思っていた。

 どのくらいそうしていただろう。やがて先生がにょらをさわって「だめだ」とつぶやき、「ご臨終です」と……。わたしはその言葉を静かに受け止めた。腕時計を見る余裕もあった。22時37分。病院にきてから3時間半以上たっていた。しかし数分後、急にこみあげるものがあり声をあげて泣いてしまった。「にょらちゃんごめんね。許して」と何度もいいながら。

 全部わたしが悪い。おしっこのことを朝相談していれば、点滴のスピードを遅くするようにとの指示をそのときにもらえたかもしれない。そうすればこんなに早く、苦しみながら逝くことはなかったかもしれないのに。もっと昔からごはんに気を使っていればよかった。もっといろいろ勉強していればよかった。もっと好きなことをさせてやればよかった。もっともっと世話したかった。もっともっと一緒にいたかった。早すぎる……。

 先生と看護士さんは、わたしが落ち着くまでずっと無言でそばにいてくださった。温かい言葉をかけられるより、ひとりにしておいてもらうより、なぜか安心できた。

 にょらちゃんをきれいにしますといわれ、わたしと夫は待合室で待つことになった。しばらくするとにょらは、首に赤いリボンをつけてもらい、いろんなカリカリの小袋とともに箱に入れられて出てきた。箱ごと車に乗せ、先生と看護士さんにあいさつをして病院をあとにする。先生も泣いてくださったようだった。

 夫を呼ぶタイミングはまちがっていなかったと思う。もっと早くからもうだめだろうとは思っていたけど、ぎりぎりまで引き延ばした。あんな苦しむ姿を見るのはわたしだけでいい。夫には耐えられなかっただろう。でもわたしはにょらをこんなふうにしてしまった責任があるから、しっかり見届けなくてはと思っていた。

 家に着くと、にょらを抱っこして家の中をあちこち見せた。そのあと、さきほど夫が買ってきたブランケットをソファに広げてその上ににょらを寝かせた。目と口がうっすら開いているのを手で閉じてやり、なでながら、ずっとずっとにょらの顔を見ていた。2時間ほどで死後硬直が始まった。でも肉球だけはやわらかい。最初は少し苦しそうに見えた顔も、時間がたつにつれ、どんどんやさしい顔になってきた。あんなに苦しんだのがうそのようだ。

 にょら、よくがんばったね。立派に闘ってえらかったよ。だけど最期まで辛い思いをさせてごめんね。にょらの苦しみを自分の苦しみとして、ずっと背負って生きていくね。本当にはわかってあげられないかもしれないけど……。
 


2003年10月26日(日)
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