いつの日か |
2005年09月22日(木) |
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父が、鼻の奥に出来た腫瘍を取り除く手術を終えた。 無事に済んで、今日は病院で開かれたコンサートのようなものを母と見に行ったそう。 鼻は赤くて2倍に膨らんだって言ってたけど、元気みたい。
実際、帰るまでそんなこと聞いたことなかった。 帰ってからですら直接そのことを教えてはくれなかった。 私も子供なりに、聞くのは上手くないというのが分かった。 ただ、父はずっと苦しそうな咳をしていた。 「風邪ひいたの?」 そう聞くと、 「ちょっとね」 と父は言った。 それは今回の鼻とは関係ないようだけれど、でも喉のほうも調子がよくないらしい。 薬を飲んでいた。 でも「なんの薬?」とは聞けなかった。 聞いてはいけない気がした。 家族だから、聞いてはいけないこともあると思ってる。 それはとても、子供の頃から変わらない私らしい部分。
父は昔からよく風邪をひく人で、熱を出したり鼻水が止まらないなんてよくあって、花粉症や鼻炎も持っていた。 ある時突然金属アレルギーになった。夕食がカレーの時は父だけプラスチックのスプーンだった。 そのうちりんごがだめになった。 果物はあまりよくないらしい。 それから、あれだけ好きだった蕎麦にもアレルギーを起こすようになっていた。 どうしてアレルギー反応が出るのか、医学的な詳しいことは分からない。 でも、歓迎されることじゃないんだっていうのは分かる。
私は今年20歳になる。 父は今年50歳になる。 私は大人になって、父はだんだんと年を経るのではなく、老けていく。
3歳の頃、東京から北海道に移住した。 それからいつからか、父は東京で単身赴任をしていた。 だからあまり、昔の父のことは覚えていない。 ただ、いない分だけ好きにはなれなかった。 小学生の頃か、伯父の結婚式に出席した時に、久しぶりに会えた父の元へ連れて行く親戚に対して、父の隣に座るのを拒んだことを覚えている。 その時は多分意識なんてなかった。でも深層心理だった。
今も、私が嫌いだと思う父の一部は変わらずに嫌いだ。 でも、何を聞いても教えてくれる。 テレビなどの報道に私が意見すると、それを一緒に考えたり話したりしてくれる。 私の目に博識と映る父は、すごく好きだった。
たった18年しか一緒に住まなかった。 もちろん家を出て行くのは当たり前だから、それはいつか来ることで、仕方のないこと。 でも、もう少し何か出来たんじゃないかって、思うのは子供としての馬鹿げた後悔。
だけどまだ私は20歳。 これから見守っていかなきゃいけない年月がまだあるんだから。 元気になることをただ望むだけ。 お嫁に行く報告を、孫の顔を、それくらいは待っててよ。
思い出すのは、誰もが元気で楽しかった、4年前くらいに公園で遊んだ時のこと。
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