ふかい樹海、あさい雲海 |
2003年04月03日(木) |
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昨日はあまりに疲れてて書けませんでした〜。 重い教科書持ってぶらぶら歩きまくったもので。 家に帰ったらもう眠気に襲われて。ねてしもうたー。 というわけで昨日は無し。今日のだけ書きます(笑)
突然だけども。 いやぁ、死にたくないなあーと思いまして(突然すぎ(笑) 私は自殺も他殺も老衰死も嫌です。 出来ることなら不老不死になりたいですね。おまけに怪我もしない得点付きの。 仙人になりたいかもしれないです(笑) 死んでしまえば楽かもしれません。 実際ああ死んでしまいたいとふっと思うこともありますけどね。 でも、その死ぬまでの過程、死ぬ瞬間っていうのを想像し考えると死ねないですね。 どうやって死ぬんだろう。痛いと泣きながら死ぬのは嫌だな。 刺されて血が出て意識が薄くなって死んでしまうのも嫌だし。 火の中で苦しくなりながら死ぬのも嫌。水に溺れて息ができなくて苦しいのも嫌。 死ぬなら飛び降りがいい、なんて外では笑って言ってるけど、飛び降りは特に嫌ですねえ。 だって、・・・ねえ?(笑) 一番いいのはやはり老衰でしょうね。 病死も嫌だな。苦しいのは嫌。 ・・・なんてわがまま言ってるんですけど、まあようは怖いというか。 死にたくないわけです。 永遠の時を生きるってのも相当苦痛でしょうけれど。 でも死の恐怖よりは私はそっちの方がいいけんだけどなあ・・・。 例え輪廻のサイクルがあってそれに回されるとしても、一度死ぬというのが怖い。 確かに今ここにいるのに、それがやがて消え、それでも世の中は動いている。 そういうのがなんだか無情みたいな感じで。 そもそも自分が死ぬっていうのが考えられません。 かなり唯我独尊?(笑)地球はあたし中心だみたいな(爆)
えっと、もう去年の話になるんですが、2002年10月7日、うちの犬が死んでしまったのです。 もう去年の初め頃・・・おととしの終わり頃からかな。病気みたいなのになって。 腫瘍かなんかが頭に出来て、でももう大きすぎて手術はできないからどうだとかいう感じで、それでも結構生きたんですけど死んじゃったんです。 11年も一緒に居たもんだからそりゃもうすごい悲しくて。 いつか死ぬってのは分かってたけど、うちの犬が死ぬなんて考えられない。 そんな風に思ってたんです。犬抱っこしながら、これがいつか死んじゃうのかな。 今生きてるのに。そんなの信じられない、って。 まあ生き物ですし、当然死んでしまいました。 学校から帰って、いつものように手洗いに行って居間に戻ってきたら「死んじゃったよ」って。 母があまりに普通に言うんで実感湧かなかったんですけど、遺体を見てああって思ったんです。 でも家族の前じゃなんか泣きたくなくて、自分の部屋に行ってそれから大泣きしたんですけどね。 その次の日、朝早くに起きてもっかい一人で遺体を見ようって思って見たんです。 死ぬ前からもうちゃんと歩けなくて寝たきりだったんで、あんまり変わらないなとか思ってたんですけど、抱っこしようとしたらすごく重たくて。 死体は重いって、本当だったんだってはじめて分かった時でした。 金魚とかハムスターとかも居たけど、死んじゃった時はそんなに重みなんて感じなかったからすごく怖かった。 手とか固くて動かなくて。 これが死体なんだなって思いました。 数日後に火葬してもらうために、ダンボールに入れて火葬場に行きました。 職員の人にダンボールを手渡して、それが焼却炉の中に無造作に置かれるのを見て、本当にお別れなんだなって思いましてかなり隠しながら号泣。 遺骨は受け取らないということだったので、焼かれるのを見ずに帰りました。 思えば受け取れば良かった、残したかったと思うけれど、あるといつも泣いてばかりな気がしてどっちもどっちだなあと。 で、帰りに火葬だから焼くと煙が出るんだよな、と思って、死んだらお空に行くってこういうことだったんだな、となんだか納得してました。 ・・・って、なんだか日記っていうよりも犬のこと書いてますけれど。 ほんとはその日あたりに書きたかったんですけど、気力も無く・・・。 今に至ってるわけです。・・・はい。 誰かが死んでしまうって、死んだ後じゃないとあんまり理解が出来ないんですかね? この先親が死んでしまうのも信じられないです。 だから余計親離れが出来ません。惜しくて・・・。
自分もいつか死ぬんだろうか。 今生きているのにいつかこの意識は消えてなくなるんだろうか。 そんな風に考えてしまう今日でした。
余談ですが、最近作ってる詩は一部を除いて殆ど亡き愛犬に向かって捧げたものだったりします。 雲になり、空になり、空気となった愛犬に。
でもって、現在思い出し号泣中だったりします(汗) 心に残るのは、思い出と愛情と後悔の念ばかりです。
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