ジョージ北峰の日記
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14) 「人が真理を知りうる。神の領域を知る。ただしそれは並大抵のことではない。既に誰かが掘り起こした真理を学ぶこと、(それは今、お前がやっている勉強だが、それは簡単なのだ。理解力さえあれば、努力することで誰にでも可能だからだ) しかし誰もまだ気付いていない真理を、誰が発見するのか? それは誰かの人間の心の奥深く、何処か分からない場所に眠っている。 隠れた真理を知らないまま一生を送ってしまう人が大部分だが、それに気付く人もいるのだ。 「それに気付かなくても、人は生きていけるでしょう?」と私、 「勿論だ、しかし人間の中には、所謂天才と呼ばれる人が時々現れて、真理を発見し、我々に教えてくれる。その人達のおかげで、単なる動物とは違った人類の現在があるのだ。しかし当の本人も自分が神の愛(めで)し存在だと気付かないこともある。 昔、現代数学の端緒を開いた若い数学者が、彼の存在価値からすれば、本来取るに足らない当時の商売女に引っかかって(政府が彼を危険人物として消そうと企み、差向けた女だった)を愛し、その女に命を懸けて彼女の恋人と称する男(政府が差向けた刺客と知らず)に決闘を申し込んだ。 決闘の前日、自分の死を予感した彼は、夜も寝ないで論文を書き上げたのだが、それが後日発見されて、彼がいかに重要な数学的真理を発見していたかが分かったのだ。 翌日ピストルの撃ち方も知らないまま、(女が本当に自分を頼りにしていると信じて)彼女の為に決闘した。そして、彼は死んだ。 無論本人も決闘して勝てる相手とは思っていなかった。だから不眠不休で論文を書いて友人に送りつけたのだ。それが良かったんだね。 神様も彼の苦悩(彼は誰からも愛されない激しい気性の持ち主で孤独だった。純粋な彼は、彼女だけが自分を認めて愛してくれたと信じたのだ)を見かねて、論文だけは残しておくことを認め、天国に早く呼んだのかもしれない。そうでなければ、彼の才能(天才)は発見されないまま、単に政府に楯突く風変わりな人間だったとして---歴史の流れに水没してしまっていただろう」兄は、話しながら少しに涙ぐんだように見えました。 私も、もらい泣きしていましたが。一方、N子のことを考えていました。あの娘(こ)は私をどんな風に思っているのだろう? 「男が女の人を愛することは、いけないことになるの?」と何も知らない私は、咄嗟に尋ねていました。
「いやそんな事はない、ただ二人が純粋な気持ちで愛し合うのであれば---」 「お前には難しい話だが、愛には2種類あるのだ、つまり真の愛と欲望の愛。 真の愛と欲望の愛を区別することが難しいことがある。特に若い頃は---。本当は愛している訳でもないのに欲望に駆られて、相手を好きと錯覚してしまう。それが不幸なことなのだ。それは自分も駄目になる上、相手も駄目にしてしまう」 「本当に好きでもないのに、どうして愛していると錯覚するの?」私には、兄の話を理解できず不思議に思えるのでした。 「それは、人間にも猫や犬と同じような、動物の行動を決定している本能があり(人間の場合感情と言っている)によって理性的判断が狂ってしまうことがあるのだ。つまり愛にも、今言ったように、理性的な愛と本能的な愛(欲望)が存在するのだ。理性的な愛は永遠に続くが、本能的な愛は長続きしない。人間は本来、理性的愛を大事にするべきなのだが、今話した若い数学者のように、どんなに賢い人間でも、理性的愛と本能的愛の区別が出来ないこともあるのだ」 「天才でも、分からないことがあるの?」 「天才だから分からないことがある。つまり天才と呼ばれた人達の中には、神から付託されたことには常人より並外れた能力を発揮するが、その他の日常的な人間生活が出来ない人がいるのだ」 兄は周りの人達から天才と呼ばれていました。確かに私にも彼のすること、為すことに不可解なことが沢山ありました。しかし、今、その議論は置いておきましょう。「普通に女の人を愛してはいけないの?」私はN子のことを思いながら尋ねていました。 兄は私の考えていることは、百の承知だったと思います。 「子供が異性を愛すると間違うことが多いのだ。だから結婚は、大人になってからするだろう。それに、もう一つ付け加えておこう。人間の理性を狂わせるもっとも大きな原因は、自分のやらなければいけない最も大事なこと以外に気が散ると、例えば勉強中に、遊びを考えること、あるいはまた好きな人のことを考えると、それが理性の集中力を殺(そ)ぐ最も大きな要因になるのだ。時と場合によっては当人を破滅させることさえあるのだ。だから親は子供が、異性に興味を持つことを最も恐れているのだ」 私は兄の話に「ビクッ」としていました。 そう言えば、姉達が「格好が良い男」の話をしたり、男友達から手紙をもらったりした現場を母に発見されて、こっぴどく叱られている姿を何度も見たことがありました。当時姉達は、両親の子供であったことを嘆いていました。私も勿論影ながら姉達に同情していました。 私は兄の話を聞いているうちにN子に対する自分の気持ちが悪のように思えるのでした。しかし同時に、全身から力が抜けていくのも感じるのでした。 しかし兄は助け舟を出してくれたのです。「でも理性的な愛なら、自分を高めてくれることもある。それは決して悪いことではない。ただ子供の頃の異性に対する愛は、本能によるのか、又は理性によるのか判断が出来ない、と言うことなんだ。だから子供の時に異性を好きになるのは注意が必要なのだ。だから早すぎると言われるのだよ---」
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