ジョージ北峰の日記
DiaryINDEX|past|will
12 私の兄に対する尊敬の気持ちはますます高まる一方でした。それは、何も目的を持たなかった私にとって、兄の言葉や行動の一つ一つが大きな刺激になったのでした。「兄をアット言わせてやりたい!」という思いが、私の良い意味での野心に繋がったからでした。 まずは勉強に身が入るようになりました。成績もいつのまにか上昇し、周囲から注目されるようになっていました。
ある日、クラスでも人気の高いN子が「T君は、最近すごく勉強頑張っているんだって」と話しかけてきました。私は、恥ずかしさのあまり赤くなりながら「別に!」と、素っ気無く返しますと「可愛い!」と笑顔を見せるのです。すると何人かの女の子も寄ってきて一緒になって「可愛い!」と囃(はや)すのでした。当時、学校内で男の子と女の子が一緒に話したり、遊んだりすることはありませんでした。 だからその時、私は慌てました。私は所謂腕白なイタズラ坊主ではありませんでした。だから女の子に話しかけられると、ただ恥ずかしくて俯(うつむ)いてしまうのでした(今の時代では考えられないことかも知れません)。
小学校では女の子のほうが男の子より断然ませていましたので、何かに積極的でした。N子は成績も学年でトップクラス、動きが“きびきび”した女の子でした。当時としては珍しく巻き毛で、美人顔ではありませんが、形の良い口元、よく動く生き生きした目は、聡明で愛くるしい印象でした。運動神経がよく、クラスでもトップレベルのランナーで、いつも自信に溢れていました。
彼女にからかわれても、男の子達は喜ぶことがあっても怒ることはありませんでした。 そんなN子が、私と目をあわすと、面白い顔をして笑いを誘うのです。私が目をそらしますと、わざわざ「T君」と呼んで無理やり笑わそうとするのです。
私が教室で一人座って、本を読んでいますと、N子が聞えよがしに数人の級友と私の家のことを噂するのです。「T君のお家は、戦争に負けて大陸から帰って“来やはって(こられて)”、5人兄弟やけど、皆優秀で、特にお姉さんがすごいの」としたり顔で話すのです。私の姉は2人いましたが、長女の方は水泳選手として、既に近所でも有名したが、N子の尊敬する姉は次女のことで、次女は同じ小学校に通っていたこともあって、勉強のみならず運動も優れ、運動会では近所の子供達のスターでした。 「私はT君のお姉さんを憧れているの」と聞こえよがしに話すのです。そして「それにお兄さんも、上のお姉さんも皆すごいのよ」と私のほうに向いて「ねえ、T君」と同意を求めてくるのです。私が面倒くさそうに「うん」と答えますと、N子は「T君は、大人しいけど」と笑うのでした。
小学校4年生の頃、夏休みのある日、N子が突然近所の子供を数人連れて、お昼弁当を持って私の姉(次女)に会いにきました。姉は外出していました。それでも彼女はめげずに、母に堂々と私の級友だと挨拶すると家に上がりこんできたのです。私は驚きましたが、嬉しくもありました。 母は、学校の先生の経験がありましたので、少しも慌てず「姉が外出しているから、あんたが遊んであげなさい」と言うのです。私は心ならずも「せっかく勉強しているのに」と言いますと、N子は「T君は勉強していたらいいよ」と---「私たち近くにハイキングに来ただけだから、荷物だけ置かしてもらって池に遊びに行ってくる」と言うのです。「池は危険だから、お前もついて行ってあげなさい」と母は言い、さっさと水着を出してくれたのです。
不承不承を装いながらも、私はN子と子供達のお供として、裏道から池に連れて行きました。今考えてみたら随分危険なことだったかもしれません(私も、N子もまだ小学生でしたから、しかし4年生ともなれば、当時は小学生が幼稚園ぐらいの子供を面倒見るのは珍しいことではありませんでした)。
池の浅いところで、子供達と水遊びをしていますと、N子は私に泳ぎ方教えてと言うのです。私は当時、既に一人で池を何度も往復できるまで(速くはありませんが)になっていました。N子は泳ぐのは苦手で、やっと犬かきが5mほど出来る程度でした。だからN子が泳ぎを教えてと言うのも不思議ではありませんでした。
その頃、私は池底の状況を充分把握していましたので、子供達に砂で囲んだ溜池を作ってやり、砂でトンネルや家を作りながら遊ぶように指示してから、N子を腰より少し深めの場所まで連れて行き、浅瀬に向かって平泳ぎ、クロールを教えることにしました。
彼女は「怖い」と言いながら私の腕をしっかり掴んでくるのです。 そして時折、私の体にしがみつくのです。最初のうちは何も思わなかったのですが、徐々に“変な気分”になって私も彼女を“そっと”抱きしめるようになりました。そんな時N子はふと私の目をじっと見詰める仕草をするのです。 訳が分からぬまま私は「大人になったら結婚しようか?」と囁いていました。 彼女も、小さな声で「うん」と答えるのでした---。
と、何時の間にか姉が私達子供を呼びに来ていて、岸のほうから「帰っておいで」と呼ぶのです。 そこで2人は正気に戻りました。
帰りながら、姉は「2人で何していたの?」と興味深そうに尋ねるのです。私がビクッとしていますとN子は平然と「泳ぎを教えてもらっていたの---本当はお姉さんに会いに来たのだけど」と上手に話すのです。 私が「ほっと!」したことは言うまでもありません。
その日、子供達は私の家で、みんなで“海”とか“椰子の実”とか“イチゴの歌”とかを合唱して楽しみました。母は昔宝塚歌劇に憧れていたそうで、従妹には宝塚のトップスターがいました。母も歌はとても上手だったのです。N子は驚いていました。しかし、その間も母は子供達の服のつくろいや、学校の事務など絶えず仕事をしていました。 洗濯機も掃除機もない時代、今から考えてみれば、本当に主婦の仕事に休みはありませんでした。
遊びに来た子達がおやつに持ってきていて私たちにお菓子を配ってくれました。すると母が、「お父さんに内緒だよ」と言って、よほど機嫌が良かったのか当時滅多に口に出来なかったスイカを切って分けてくれたのです。 冷房も扇風機もない暑い暑い真夏日でしたから、その時N子と一緒に食べた冷たくて甘いスイカの味は、いまでも忘れることが出来ません。 その夜、寝床に入ってからも私は「N子」との出来事が忘れられませんでした。今から考えてみれば、ある意味で「男の子としての春の目覚めだった」のかもしれません。
|