ジョージ北峰の日記
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2004年02月16日(月) |
雪女、クローンAの愛と哀しみ |
A子のクローン人間としての波乱に満ちた生涯、複雑な彼女の生い立ちは誰に知られることもなく、単に一人の不幸な人間の物語として閉じられた。 彼女の一生は、あたかも雲の中で発生した水の結晶が、互いに結合しあって美しい牡丹雪となり地上に舞い降りたが、容赦ない強い日差しに結合の手も緩み、溶かされ水となり、私の指の隙間からすり抜けていったように思えた。A子と知り合うことで医療救援活動の舞台を世界にまで広げ、展開しょうとしていた私の夢はほんの束の間の輝きを放っただけで、この瞬間、春の雪のようにはかなくも消えていった。 それにしても彼女の潔く静かな死に、私は哀しみを超えたむしろ鳥肌が立つほどの感動を覚えた。美しい死に方だと思った。もし二人の間に子供が誕生していなかったなら、私も彼女と一緒にすぐにでも死んでよかった。私にとって最愛のA子を失った哀しみに比べれば自分の死などたいした問題ではなかった。 終章 A子はクローン人間として本当は、私の想像以上に孤独な存在だったかも知れない。しかしそのことで彼女が誰かを責めることはなかった。父に対しても?否、むしろ感謝しているとさえ言った。 私達が最初に出会った時、A子は普通の子供とは違ったとても明るい積極的な人生観を持っていた。それが彼女の本来のキャラクターだったのだろう。しかし一方では人工的に作り出された自分の真実を知り、自己の存在に対する嫌悪感が潜在意識としてもたげ始めていたのではあるまいか。何事も合理的、科学的に割り切ろうとする人間に対する反発、そしてそれに対する警鐘の申し子として自分の存在を位置づけていたのではあるまいか。 A子は父の犯した誤り(罪)を正しく認識していた。一方で彼がそれを悔いて異国の地で人知れず死んだことを彼女は理解し彼を許そうと思っていた、否むしろ自分も積極的にその罪をかぶり、その罪を可能な限り償おうとさえ考えていたように思える。その償いの方向が偶然私の生き方と一致し、私のパートナーとしてA子が最後まで(私と)行動を共にした理由だったかもしれない。 しかし子供が誕生してからは、A子は普通の人間として、その喜びを素直に受け入れ、人生がもう少し残されていたなら、クローンとしてではなく、普通の人間として生き方を追求してみたかったのかも知れなかった。 その意味では、彼女の人生観を正常に戻したのは子供の誕生だった。それが良かったのかどうか、私には今でも正確に判断できないが、ただ彼女の言動からは、一瞬だったとは言え、人間性回復の兆しが見られ、少なくともそれはA子にとって幸せな出来事だったのではと考える。たとえそれが私にとって悲劇の結末だったとしても! ーーーーーそれから 数年がたった。E国で被災後の復興支援に私が国際医師団の一員として参加した時のことである。その中でとりわけ目立って活発に活躍している女性の姿が、私の目を釘付けにした。 驚いたことに、それは紛れもなく死んだはずのA子だった。その時の驚き、喜び、懐かしさ、さらに次々こみ上げてくるありとあらゆる情念の高まり、そしてとめどもなく溢れる涙、私の万感の心情を察していただけるだろうか。この時ばかりは、私は我を忘れ、神に感謝の祈りを捧げていた。 完
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