ジョージ北峰の日記
DiaryINDEX|past|will
2002年12月30日(月) |
ノーベル賞と日本経済 |
今年のノーベル化学賞に、全く予想されていなかったT氏が受賞された。本人は大変当惑された模様であるが、人々からは海外も含めて好意的に受け止められている。ノーベル賞である以上その研究は超1級のものだと考えるが、本人はいたって謙虚な発言を繰り返しておられる。T氏本人は否定されているが,子供時代の話、現在の研究生活を見たり聞いたりしていると、典型的な天才に部類する人と考えられる。 T氏の特性は何事に対しても極めて率直に、謙虚に語られる事ではないだろうか。この点についてはノーベル物理学賞を受賞されたO博士とも共通点があるように思える。科学の世界で偉大な仕事をする人は、自分に対しても研究対象に対しても謙虚でなけれべならないと言うことなのだろうか。 しかし今回のノーベル賞で特筆されるべきは、ノーベル財団がT氏を公正に評価し選考されたことだろう。いかに偉大な発見をされた人とは言え、全く注目されていなかった人物を選考対象とするにはかなりの勇気が必要だったに違いない。その判断には敬服せざるを得ない。今回のノーベル賞のノーベル賞は世界の若い研究者、技術者に計り知れない勇気と希望を与えた、という意味においてノーベル財団にこそ贈られるべきだったのではあるまいか。 しかし、私がここで問題にしたいのは、今回のノーベル賞のことではなく、その"公正さ”についてである。 現代の日本経済の景気の低迷、社会全体に蔓延している諦観(あきらめ)の起源は日本人に”公正さ”が失われたからではないかと考える。 例えば、バブル経済盛んな頃、証券会社がある特定の”お得意様”の為、不当に利益誘導したことがあった。それまで、一般の素人投資家は株式市場に参入、知恵を絞って大株主に対してチャレンジしょうと熱の入った時期もあった。それが公正に行われていなかったと知らされたときの虚脱感、二度と株式には手を出さないと決意した多くの人々があった。 また公共事業にまつわる、汚職と無駄遣い、政治家・お役人のピンハネなど、とても公正とは思えない税金の無駄遣いが巷間(こうかん)で噂されている。高い税金とは言え、正しく公正に使われているなら、まだ今のところ人々は税金を支払うことに吝か(やぶさか)ではないと思う。しかし、税金は国民の利益とは全く無関係のところで浪費されていると言う。最初国民は呆れ、次に怒り、本気で政権交代を期待し始めたのである。それが過去の日本新党のH政権の誕生であり、現在のK首相の高支持率であり、長野県のT知事の圧倒的再選である。 もういいかげんに、国民が、いや世界が日本の政治家・お役人(行政)に何を求めているのか気づくべきではないのか。 本来、資本主義社会が経済システムとして活発に機能し続けるためには、政府は小手先の経済政策よりも何よりも”公正さ”が基本的原理としてしっかり機能しているかどうか監視すること、それが最優先事項ではないのか。このことを、日本の政治家、経済人をふくめてリーダーたちが欲ぼけ(失礼)のためかすっかり忘れてしまっているように見える。 つづく。
|