与太郎文庫
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2026年02月24日(火)  「まぁね」から「じぁね」〜 from "Maa ne" to "Jaa ne" 〜

 
 20260223 朝のコーヒー、トーストで、妻が立ったり坐ったりに難色。
 与太郎は、高校卒業時の成績証明書に「合理主義」の信奉を特記され
たが、いま思うに当時は「原理主義」という用語がなかった。
 
……「まぁね」むかし「あのね、おじさん」という漫才師(?)が居た。
「アノネ、おっさん、わっしゃ、かなわんよ」《怪盗白頭巾 1935 日活》
 当時、言論統制され、ちょっとでも反体制な発言をしようものなら、
直ちにひっくくられる時代であった。(??)
 
 高勢 実乗   俳優 18971213 函館 東京 19471119 49 /旧字=實乘
/籍=能登谷 新ー Notoya, Jitsujou
 Takase, Minoru “アノネのおっさん”「あのね、わしゃかなわんよ」
/サイレント時代からトーキー初期のコミックリリーフ
/1905(7)上京、舞台に。「あのネ、おっさん、わしゃ、かなわんよ」
 
 山中 貞雄 監督・脚本 19091108 京都 中国 19380917 28 /戦病死
https://plaza.rakuten.co.jp/myk1016/diary/200403090000/
…… サイレントからトーキーへの移行期、1930年代の日本映画を代表
する監督のひとりで、28歳で亡くなった天才監督として知られる[1][2]。
わずか5年間の監督キャリアで26本の時代劇映画(共同監督作品を含む)
を発表したが、今日もフィルムが現存する作品は3本。《丹下左膳余話
百萬両の壺 1935》《河内山宗俊 1936》《人情紙風船 1937》
 
「まぁね」で始まって「じぁね」で終る回答は、馴れ馴れしく不謹慎。
 20260224 朝、妻の腰痛に「トウルースリーパー」を試し買い注文。
 むかし、父母の口癖「騙されたと思って」を思いだす。(20260224)
 
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 YMDay(20260224)last up dated.


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