与太郎文庫
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2024年08月19日(月)  身辺八宝 〜 The Eight Treasures of the Body 〜


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 身辺八宝 〜 The Eight Treasures of the Body 〜
 
 なんでもない文房具、ボールペンが見当たらないので、苦労して検索、
ネットで注文して送られてきたら、他の小箱に、似たようなものが沢山
でてきた。身辺を探せば、大概のものはあるらしい。
 
https://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/shikiricard/
 身辺八宝;A-z,BC, AD0000,1800,1900,2000
 
〔Quora〕 0819
 
 人間不信って治りますか? 大学生です。
 今までスポーツも受験も独学で成功してきました。
 一方、人に頼ってもあまり良いことはありませんでした。
 
https://jp.quora.com/%E4%BA%BA%E9%96%93%E4%B8%8D%E4%BF%A1%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%B2%BB%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%81%8B-%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%A7%E3%81%99-%E4%BB%8A%E3%81%BE%E3%81%A7%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84?__filter__=all&__nsrc__=notif_page&__sncid__=55582358039&__snid3__=74629979578

 もうひとつの視点は、きみが過去も未来も、誰かに頼られるかどうか、
きみ自身の価値にある。スポーツや受験は、赤の他人との競争体験で、
妻や子に対する愛情経験は、これからもっとも重要な課題になるはずだ。

── 有島 武郎《惜みなく愛は奪ふ 19550125 新潮文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JAZOD4

…… 愛は惜しみなく奪うものだ。愛せられるものは奪われてはいるが
不思議なことには何物も奪われてはいない。しかし愛するものは必ず奪
っている。── 有島 武郎《著作集 第一輯 192006‥ 叢文閣》
https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/1144_11850.html

 Arisima, Takeo  18780304 東京 長野 19230609 45 /〜《生れ出づる悩み》
 Kurata, Hyakuzou 18910223 広島 東京 19430212 51 /〜《出家とその弟子》

── 倉田 百三《愛と認識との出発 19941001 岩波書店》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4000000608

(20240715)
 
── 和辻 哲郎《風土 〜 人間学的考察 19790516 岩波文庫》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4003314425
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B00QT9X94K [Kindle]
 
 Watsuji, Tetsurou 18890301 兵庫 東京 19601226 71 /異説=18890311〜《古寺巡礼》
 Fujita, Masakatsu 1949‥‥ /西洋哲学・思想史研究。京都大学名誉教授。
 
── 藤田 正勝《日本哲学入門 20240118 講談社》
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B0CS3BRTYP
 
(20240815)
 
 《なぜ私たちは「暑さ」を感じるのか…和辻哲郎が生み出した
「風土論」の「核心」 PHOTO)gettyimages 現代ビジネス》
 
 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身
体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先
人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲
学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。
 
【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」
 
※本記事は藤田 正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。
 
 和辻哲郎の「風土論」写真:現代ビジネス
 
…… 近代になってとくに自然について論じた人に和辻哲郎がいる。和
辻は『人間の学としての倫理学』(一九三四年)や『倫理学』(上・中・
下、一九三七―一九四九年)などを通して日本の倫理学研究に大きな足
跡を残した思想家である。
 
 和辻の思索の歩みは三つに区分することができる。大学卒業後、西洋
の哲学を中心に研究した時期が第一期であり、日本の文化や美術を中心
に研究した時期が第二期である。その間に法政大学から京都大学に移り、
さらに一九三四年に東京大学に籍を移した。ちょうどその年に『人間の
学としての倫理学』が発表されたが、それ以後の時期、つまり独自の倫
理学を構想し、それを体系化することを試みた時期が第三期である。
 
 ここでは東京大学に移った翌年に出版された『風土──人間学的考察』
(一九三五年)を取りあげることにしたい。この書は第三期に属するが、
一九二七年から翌年にかけてのドイツ留学の言わば副産物として成立し
たものであり、第二期と第三期をつなぐような性格をもっていたと言っ
てよいであろう。
 
 そこではモンスーン地帯や沙漠、さらにヨーロッパの気候や景観など
が問題にされている。しかし和辻はそれらを「自然」とは呼ばずに「風
土」と呼んだ。なぜなのであろうか。この点を明らかにしておくことが
この書を理解する鍵になる。
 
 この著作には「人間学的考察」という副題が付されている。しかし、
なぜ「風土」が「人間学的考察」の対象になるのかということは、必ず
しも自明なことではない。
 
 その点を考えるために、まず和辻がこの『風土』という著作で「風土」
をどのように定義しているかを見てみたい。「第一章 風土の基礎理論」
の冒頭で和辻は、「ここに風土と呼ぶのはある土地の気候、気象、地質、
地味、地形、景観などの総称である」と記している。気候、地質、地形
等のことばがここで用いられている。一般に「自然」ということばで表
現されるものである。しかし和辻はそれらを「自然」とは呼ばずに「風
土」と呼んでいる。それは、彼が問題にしたものが人間と関わりのない
客観的な存在としての気候や地形、つまり、単なる自然環境としての気
候や地形ではなかったからである。また、彼が『風土』のなかで問題に
したのは、いま言った意味での自然がいかに人間の生活を規定している
か、あるいは規定してきたか、でもなかった。彼が問題にしたのは──
『風土』のなかの表現を使えば──「日常直接の事実としての風土」
(八・七)であった。
 
https://news.yahoo.co.jp/articles/98dec4f56ab97994cff44a1eee06c558c14f5b8c
 
「寒さ」とは何か
「日常直接の事実」としての風土とはいったい何であろうか。それを和
辻は「寒さ」を例にとって説明している。彼が問題にしようとしたのは、
ある一定の温度の(たとえば零下五度なら零下五度の)空気の存在、つま
り、客観的な存在としての「寒気」ではない。私たちが実際の生活のな
かで感じる「寒さ」である。
 
 和辻が客観的な存在としての「寒気」ではなく、私たちの生のなかに
ある「寒さ」を問題にするのは、私たちが元来「志向的」な存在である
からである。私たちの意識のはたらきは、はじめから何かに向けられて
いる、つまり何かについての意識である。それは外部とは関わりをもた
ない一つの「点」としてあるのではない。
 
 私たちは孤立した「点」として、その外にあるもう一つの「点」(た
とえば「寒気」)に向かって進んでいき、そこにある一つの関係を作り
上げるのではない。私たちは最初から「……を感じる」(たとえば「こ
の冬の寒さは体にこたえる」)といった仕方で、一つの関係のなかにあ
る。私たちは最初からこのような「志向的関係」のなかにあり、このよ
うな「関係的構造」が私たちの存在を成り立たしめているのである。
 
 和辻が問題にしようとしたのは、このような「志向的」あるいは「関
係的構造」のなかで出会われる自然であったと言うことができる。それ
が和辻の言う「風土」にほかならない。そしてそのような意味での「風
土」こそ、私たちの生の基盤であると言うことができる。そのように、
客観的な存在としての気候や地形ではなく、私たちの生の「具体的地盤」
としての風土に注目することによって、和辻は新たな仕方で自然を見る
眼をもったと言ってよいであろう。
 
 さらに連載記事〈日本でもっとも有名な哲学者はどんな答えに辿りつ
いたのか…私たちの価値観を揺るがす「圧巻の視点」〉では、日本哲学
のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
(20240819)
 
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