与太郎文庫
DiaryINDEX|past|will
2010年02月17日(水) |
本番考 〜 なぜ人は失敗するのか 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20100217 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Web Library;2台のピアノ http://www.pianopassage.jp/piano/petrofSR1/topics.cgi ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ 0.三分の弁解 ── わずか1分ほど前に予定が急変。大技のスロー4回転サルコーの 回避を、モスクビナ・コーチに指示された。「直前で3回転にしようと 言われ、頭の切り替えができなかった」[20100217 09:40] http://vancouver2010.nikkansports.com/figure/news/p-sp-tp0-20100217-596910.html ── 本番(ほんばん)演劇の公演、テレビ番組や映画、ラジオ番組な どにおける実際の収録。本番行為(ほんばんこうい)は実際の性行為の こと。── Wikipedia ── 映画・テレビ・ラジオなどで、テストやリハーサルでなく、実際 に撮影・放送・録音を行うこと。また一般に、練習でなく、本式に事を 行うこと。「受験シーズンも―に入る」「ぶっつけ―」── 大辞泉 ── 「あがる」というのは、人間のすばらしい習性だ。恐怖をのりこ えて人前に出ることができる。── 《アンソニー・クイン自らを語る》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19260919 俳優総登場 1.臨場の体験 野球やサッカーなど、スポーツの解説者は、すべて選手経験者である。 ところが、音楽評論家は、人前での演奏経験がない。映画評論家も、 演技や監督や裏方の経験なしに、いっぱしモノを云う。 与太郎の本番経験は、学芸会・弁論大会から、ボートレースの舵手、 合唱コンクールの指揮、クリスマス・ページェントでの独唱、高校では 室内楽から管弦楽団の指揮のほかに、チェロで《白鳥》を独奏している。 ── 透明な形式美と、音の響きの美しさをとりもどすことに専念……。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19581125 第一回校内ポピュラーコンサート(Program) いちばん練習量が多くて、出来そこなったのは、チェロ独奏だった。 あまり親しくない後輩女子のピアノ伴奏を、数回の手合せで済ませた のが致命的だった。細部まで知りつくしていたので、甘くみたのだ。 あろうことか、弾き終わって首をかしげたのは、いまも悔やまれる。 (江川卓のような大投手でも、打たれた後で首をかしげる癖があった) ピアノ伴奏の曲では、原則としてピアノが主役でなければならない。 あとから耳に入ったのは「演奏中、伴奏者を睨んでいた」などという 不名誉なウワサだった(そのように見えたなら、弁解の余地がない)。 高尚な作業に従事しながら、あくまで煩悩を断ち切れないのだろう。 2.主客の転倒 そもそも、ヴァイオリン・ソナタ(奏鳴曲)も、楽譜表記の慣例では 「ヴァイオリンの助奏つき、ピアノ・ソナタ」で、あくまで鍵盤楽器が 主役である。音量・鍵数がまさって、調律が容易でないためとみられる。 ここで、演奏経験のない人は、独奏者が主旋律を奏でるのに対して、 もっぱら伴奏者が追随すると考える。 出演料を比較すれば(曲目にもよるが)優劣格差は歴然としている。 そう考えれば、百人のオーケストラと、指揮者一人分のギャラが同額 だったりするので、労働量に反比例するらしい。 (この問題は、楽団員にとって不愉快なので、あまり論じられない) 3.白鳥の調律 くりかえし(当ブログで)書きそびれてきたのだが、サン=サーンス の《白鳥》は、二台のピアノで伴奏するように書かれている。 二台で同じ音譜を弾くと、むしろ音が濁ってしまうのだが……。 ピアティゴルスキーは、なぜか六台ものハープに拡充している。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080704 Pax Americana 〜 有頂天のアメリカ 〜 初演の折に、ピアノが二台あったとか、ピアニストが二人居たなどの 屁理屈は通らない。与太郎は、この謎を長年にわたって考えてきたが、 いままでのところ、誰も指摘しないし、論じてもいないようだ。 おそらく(中間部で)異なった調律を必要としたにちがいない。 オリジナルの原譜を分析し、どの部分で、いかなる転調が行われたか、 和声理論にもとづいて解明されるべきである。 4.魚心と水心 かくのごとく《白鳥》の独奏者は、伴奏者に追随するのがスジである。 テンポ・ルバートも、チェロ奏者はピアノ奏者に任せるべきであろう。 チェロに魚心あれば、ピアノは水心でなければばらない。 昨年の電話で、有賀のゆり教授に少し話してみたが、うまく説明でき なかった。竹内康くんの遺児が作曲に取りくんでいるとかで、折あらば 後世の課題としてバトンタッチしたいものだ。 異色充実 〜 これが芸術だ! 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19940225 氷上の絵巻物 〜 華はどこへ行った? 〜 ── 「あいつらは滑る前から踊っとる。日本人は踊る前にすべっとる」 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20100214 薄氷の白鳥 〜 ロシア国籍を取った日本人 〜 (201010218)
|