与太郎文庫
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2008年07月04日(金) |
Pax Americana 〜 有頂天のアメリカ 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080704 ── 舞台後方に、ずらり居ならぶ美女数人、いずれも薄衣をまとって のハーピストたち、まさに百聞一見、この曲の優雅な雰囲気を、いやが 上にも高めていた。── 《弓弦十話 〜 雄鶏と雌鶏 〜 》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710401 THE SWAN(with Harp accompaniment)…… Saint-Saens http://jp.youtube.com/watch?v=TES6zKU-YBE 19461005 Sat Afternoon at 2:30 in Carnegie Hall 中学同級生は、どちらかといえば良い子で、優等生ばかりだった。 映画《カーネギーホール 1947 Aerica 19520125 Japan》は、悪ガキの ゴリ(吉田肇)と一緒に、ヤサカ会館で観たように思う。 戦後のヤサカ会館イメージは、進駐軍用のキャバレーやダンスホール を併設していたため、中学生にとって卑俗な印象があった。 街灯も途絶えた場末の、うしろめたい建物に思えたのである。 佐々木敏男が、毎回カタログを買っているのに触発され、以後数十冊 のコレクションを残したが、散逸した。彼は映画に詳しかったばかりか、 鞍馬天狗の衣装をつけて、写真まで撮って見せびらかしていた。 佐々木の父は、日本で初めて映画を輸入した商社の御曹司である。 そこらそんじょの鼻たれ小僧が、風呂敷をまとって遊ぶのとはちがう。 (頭巾に割り箸を入れて、うまくいかなかった記憶は誰にもあるだろう) のちに、祇園会館(松竹系の多目的劇場)ができたとき、ゴリの父が 支配人だったような記憶もある。与太郎のオーケストラも広野小四郎氏 の指揮で《エグモント序曲》を演奏した。(以下、弥栄・祇園の挿話) ── 本番直前に緊張をほぐすための小噺「手術」「チャルメラ音程」 など、いま思い出してもおかしい。── シンフォニエッタ序章 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20010308 http://q.hatena.ne.jp/1212919760#a833700 誤奏と完奏 〜 指揮者も奏者も、総譜の分析が基本です 〜 ◇ ヤサカ会館(1936)VS ギオン会館(19580517) ── 弥栄会館は昭和11年に白鷺城をモデルに建てられたもので、当初 は映画館やダンスホールとして使われていた。もう知る人は少なくなっ たが、ここの屋根と弥栄中学校の屋根は意匠が同じである。 http://www.bbweb-arena.com/users/mnaokun/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%95%8C%E9%9A%88_002.htm ── 花街の名画座「祇園会館」(京都市東山区)の開館50周年記念 興行が17日、始まった。舞妓の祝舞で幕開けし、名画2本を上映して ファン450人と節目を祝った。 開場前から100人のファンが列をつくり、上映前には古原崇社長が 「苦難を乗り越えられたのは皆さまのご愛顧によるもの」とあいさつ。 祇園東歌舞会の舞妓5人が「祇園小唄」などを舞い、名画「地上(ここ) より永遠(とわ)に」「オペラハット」を入れ替えなしで上映した。 祇園会館は1958年に開館し、米国映画の大作「十戒」を京都で唯 一ロードショー公開するなど当初は最新の多目的ホールだった。60年 代から名画上映を本格化、多くの映画人がここで作品を見て育った。毎 秋の「祇園をどり」の会場にもなっている。 40年前から来ている青木英子さん(70)=草津市=は「大好きな 『風と共に去りぬ』をここで何回も見ました」と感慨深げだった。記念 興行は18日も正午から祝舞や「愛情物語」「或る夜の出来事」の上映 をする。 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008051700155&genre=I1&area=K00 田辺 朔郎の母校 〜 花街の子ら 〜 ── 日本の学制頒布は,明治5年です。しかし,京都市(当時は府) では全国に先駆け,明治2年に学校制度(番組小学校)の創設に着手。 同年末までに計64校が開設されました。当初、御池小は上京第27番 組小学校,弥栄小は下京第33組小学校の名で呼ばれました。 http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/yasaka-c/ichibanOLD/saisyo.html 日本最初の学校 〜 弥栄中学校 VS 柳池中学校 〜 ◇ ── 不敗の大国アメリカは、むしろ戦勝後に矛盾を露呈しはじめる。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920704 七月四日の米日列伝 ── 冷戦期においても、合衆国とソ連の覇権の下、「平和」な状況が 継続したものであり、これを「パクス・ルッソ=アメリカーナ(Pax Russo-Americana ロシアとアメリカの平和)」と称することもある。ま た、この時期の「平和」の本質は、核の抑止力にあったため「核の平和 (Pax Nuclei パクス・ヌクレイ)」と称すべきとの論者もいる。 ── (Wikipedia) ── まさにアメリカの文化的威信を誇示するような演出だった。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050919 米々刻務長官 〜 Bush calls Me 〜 (20080707)
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