与太郎文庫
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2007年09月04日(火) |
毀誉褒貶 〜 墓に唾する者 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070904 ── 大本営参謀や伊藤忠商事会長、亜細亜学園理事長を務め9月4日 に95歳で死去した瀬島龍三氏の同商事と同学園の合同葬が17日、東 京都中央区の築地本願寺で営まれた。太平洋戦争時から国の中枢にあり、 国鉄民営化でも活躍した故人の人柄と功績をしのび、政財界から150 0人以上の参列者が集まった。 瀬島氏は中曽根康弘元首相(89)のブレーンとして知られ、電電公 社や国鉄の民営化に尽力。元首相は弔辞で「誠実に真心を尽くして国家、 国民に奉仕し、その一生を終えた」と述べた。 瀬島氏は日本美術協会会長を務め、「高松宮殿下記念世界文化賞」の 発展に尽力した。 http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200710/sha2007101808.html
瀬島 龍三 陸軍中佐 19111209 富山 東京 20070904 95 /伊藤忠商事会長/号=立峰 /陸士44期卒、陸大51期首席/岳父=松尾伝蔵(陸軍大佐)長女の婿 ──(Wikipedia) 古山 高麗雄 作家 19200806 朝鮮 神奈川 20020311 81 /〜《フーコン戦記 199911‥ 文藝春秋》
>> 朝日新聞の夕刊コラムが死者にツバかける ── 故・瀬島龍三氏を 「あいつ」「てめえ」と ニュース記事に関連したブログ(20070908 14:29) 戦時中は大本営参謀を務め、戦後は伊藤忠商事会長となった瀬島龍三 氏が9月4日、亡くなりました。 瀬島氏の長く錯綜した軌跡に対し、毀誉褒貶は当然あるでしょう。礼 賛や同意があるとともに、批判や反対もあるでしょう。 しかしいまや死者となった相手を直接に論ずるに際しては、一定の礼 節があるはずです。もう反論も説明もできない死者に対し、その生前の 言動を一方的に攻撃するという対応は洋の東西を問わず、非礼であり、 とくに日本では卑劣とみなされるようです。逝去したばかりの人物に対 し、単なる批判的な評価ならばまだしも、悪感情ばかりが先行する野卑 な誹謗の言葉をぶつけるというのは、死者の霊にも、その遺族にも、あ まりに失礼です。 ところが朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」9月5日をみてください。 以下の記述がありました。 <<昭和の参謀大往生。「あいつらの言う国家とは、結局、てめえだけ のことではないか」「何万人もの兵士が餓死しても、すべて、国のため だと言って、平気なのだ」(古山高麗雄・フーコン戦記)>> この記述は故瀬島龍三氏に対し「あいつ」そして「てめえ」と悪口雑 言を浴びせているのです。まさに死者にツバかけるとは、このことでし ょう。亡くなった人間に対し「あいつ」とか「てめえ」と、口汚くのの しるとは、恥を知れ、といいたくなります。 しかもその手法がいかにも病的思考の「素粒子」らしく、卑劣です。 古山高麗雄氏の言葉を引用する形をとっているのです。その古山氏の原 文が果たして瀬島龍三氏個人に標的をしぼっていたか否かも、わかりま せん。瀬島氏が本当に「何万人もの兵士が餓死しても平気」だったのか。 「国家とは、てめえだけのこと」だったのか。どうやって実証するので しょう。 そもそも瀬島氏がそういう活動をしたと非難される時代の戦争中、朝 日新聞はではどのような報道ぶりをしていたでしょうか。朝日新聞自身 が国家を説いても、結局は自分のことだけだったのではないのか。戦前、 戦中の瀬島氏の言動だけを他人事のように非難できるのか。 そしてなによりも、汚らしい言葉遣いです。死者の霊に対し「あいつ」 「てめえ」なのです。しかも根拠の曖昧な誹謗に拠って立って、なので す。普通の良識、常識のある人間はたとえ政治的意見を異にする相手で も、その死に際しては、必ずや言っよいことと、悪いことの区別がある はずです。 朝日新聞の「素粒子」は明らかにこの限度を踏み越え、異常な憎しみ や、さげすみをあらわに、瀬島氏の霊にぶつけるのです。 こうして死者にツバする病的コラムは「鼠瘤屍」とでも呼びましょう か。そう、朝日新聞夕刊コラムの「鼠瘤屍」(そりゅうし)です。 http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/294047/ << ── 《墓に唾をかけろ“Jirai Cracher sur Vos Tombes”196001‥ France》 http://kitan.semana.co.jp/cinejazz/hakanituba/hakanituba.html http://d.hatena.ne.jp/adlib/19460917 草場家の人々 〜 草葉 ひかるの祖父 〜 (20070908-1103)
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