与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2007年04月25日(水)  Grand Ground 〜 アンザック・デーと戦争花嫁 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070425
 
 かつて、オーストラリアに駐在した友人より、回想風エッセイが届く。
Mail'20070425 18:24 from Mr. Tamura, Tadahiko
 Grand Ground 〜 続々・エアライニーズ受信/書簡熟読 〜
 
>その後、アマチュア無線のライセンス(電話級)を取った<
 ぼくも一応免許をもっている。1986年夏、むりやり薦められて取った
が、ついに一言も受発信しないまま今日に至っている。
 
 貴君のパース時代のエピソードを、ぜひもっと詳しく知りたいね。
 ぼくらの世代では、オーストラリアに、ただならぬ反日感情があった
ことを知る者は少ない。その後、どのように緩和されつつあるのかも。
 
 追記 〜 オーストラリアの風土と言語 〜
 オーストラリアで運転免許を取った者は、車庫入れができないそうだ。
 貴君も「滞在中いちどもバックしなかった」のではないか。
 
 航空会社には、グラウンド・ホステス(地上勤務のスチュワーデス)
という職名があった。貴君の恋人として紹介されたときには、ついつい
「とっても偉いのかと思った」と、陳腐なジョークを口にしてしまった。
 
 彼女は、ニッコリ笑って「だってスペルが違うんですもの」と答えた。
 それはそうだが、英語コンプレックスを持つ者は、いまだに“wrong”
を“ウロング”と発音したりして、なにかと肩身せまく生きてきたのだ。
 
 ホステスは複数だから、一人しか居ない酒場では「ホステ」かな? 
 ホスト(主人)は、ふつう一人のはずだ。
 しからば、ホスト・クラブの従業員は「ホストス」だろうか? 
 
(20070430 12:51)
 
 折返し、添削コメントきたる。(20070430 15:59)
── 一応、ジョークと思いますが、ホステス(hostess)は単数で、
複数は hostesses(ホステシーズ)です。念のため。
 
 ◆ 
 
19150425〜19160425 ANZAC Day
 
── ニュージーランドでは毎年4月25日に、戦争で亡くなった軍人を
追悼したり、帰国した軍人に敬意を表するための「アンザック・デー」
(ANZAC Day) が行われています。ANZACの意味はオーストラリアとニュ
ージーランド軍隊のことです。1915年4月25日にアンザック軍隊の多く
のニュージーランド人とオーストラリア人が、トルコのガリポリで怪我
をしたり、亡くなったりしました。
 そこで、翌年の1916年から、4月25日の夜明けにニュージーランド全
土で追悼式が行われるようになりました。
http://www.city.hashima.gifu.jp/hiea/CIR_column20.htm
 国際交流員見て歩き
 
── アンザックという単語は耳慣れないものであったが、独立のため
の戦争という経験を持たないオーストラリアにおいて、国家としての歴
史への初参加が神話となり、国民的体験としてもてはやされたという流
れには、納得するところが多かった。
http://www.let.osaka-u.ac.jp/seiyousi/pub/ozhistory/page12.html
 国民的体験を分かち合う−アンザック神話
 
>>
 
 豪人戦争花嫁にオーストラリア国籍返還
〜 アメリカ兵と結婚した1万5,000人の女性に 〜
 1943年4月、19歳の速記者だったパトリシア・フェイルさんは米空軍
の爆撃手だったエド・フェイルさんと出会った。1か月後にシドニーの
セント・アンドリュース大聖堂で結婚式を挙げ、3か月後には海路アメ
リカに渡った。その時誰もパトリシアさんに、オーストラリア女性が外
国人と結婚した場合、オーストラリア国籍を失うという条項があること
を教えなかった。現在テキサス州オースチンに住むパトリシアさんは、
「まるでオーストラリア市民権を奪い取られたような気持ちでした」と
語っている。パトリシアさんと同じ境遇のオーストラリア女性が1万5,0
00にいたとされているが、その法律によれば、オーストラリア男性は誰
と結婚してもオーストラリアの市民権を失うことがなく、女性だけが不
利な立場に置かれていた。最近成立したばかりの法律で、パトリシアさ
んのようにオーストラリア国籍を失った女性とその子供もオーストラリ
ア国籍を取り戻すことができるようになった。パトリシアさんは「すで
に亡くなった戦争花嫁も多く、彼女たちにとってはこの法律も遅かった
」としつつ、再びオーストラリア国民として帰郷できることがうれしい
としている。4月25日のアンザック・デーには、90人ほどの戦争花嫁が
ワシントンDCに集まる。パトリシアさんは、「60年間アメリカに住んで
いたけれど、豪大使館から手紙をもらったのは、この招待状が初めて。
何千人もの女性が国に見捨てられたと感じながら暮らしてきた。オース
トラリアが、海外のオーストラリア人を暖かく迎え入れるほど大人にな
っていることを願う」と語っている。また、パトリシアさん自身の3人
の子供を含め、4万人ほどの戦争花嫁の子供たちにも豪国籍再取得資格
が与えられる。(AAP)
http://www.25today.com/news/2007/04/post_976.php
 この記事はAAP配信記事の忠実な翻訳であり、日本国内の報道と合致
しない記述も含まれています。(日豪プレス オーストラリア20070421)
 
<<
 
 ふたりの戦争花嫁“第1号”チェリー・パーカー
 


♀Catts,(籍=ナガイ・一枝)1920‥‥ 東京 America 20000531 80 /1946フレデリックと結婚
 Catts, Frederic(カッツ) 19...... America 19‥.... ? /駐留兵士(空軍暗号作成)
────────────────────────────────
 Parker, Gordon 医学生  1928‥‥ Australia /1948桜元 信子と結婚
♀桜元 信子“Cherry Parker”1929‥‥ 広島 Australia /ゴードン・パーカーの妻
♀Parker, Marguerite    19490824 Australia /Gordon & 桜元 信子の長女
♀Parker,(Margueriteの妹) 1951‥‥ Australia /Gordon & 桜元 信子の次女

 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display                      |
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20070430)
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加