与太郎文庫
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2006年10月01日(日) |
馬三題 〜 秋の夜噺 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061001 (画像)http://d.hatena.ne.jp/adlib/20061001 ── ながい夜なが〜い髪ながあ〜い曲…………。traced by Osada,H。 ── Awa, Masatoshi《秋の夜は長い! 19781001 aedlib》 http://q.hatena.ne.jp/1159643323#a614625 「母さん、アメリカって遠いの?」「黙って泳ぎなさい」(小朝)。 秋の休日にステキな小話が聞きたくなりました。条件1:1回答1小話。 とっておきの小話で勝負してください。条件2:四百字以内。条件3: 下ネタや時事ネタ、国家や民族を比較する小話は趣味ではありません。 条件4:小話を集めたホームページや本の紹介はけっこうです。 bijyou 質問に答える ウォッチリストに追加 のっかりはてな 状態:回答受付中 回答数:6 / 10件 回答ポイント:110ポイント 登録:2006-10-01 04:08:43 ▲ adlib 2006-10-01 18:41:22 馬肥ゆる秋 ── ダイエットには、乗馬がいいんです。なにしろ一週間で5キロも やせました。もちろん馬のほうですが……。 ── 羽田 健太郎《徹子の部屋 20050929 テレビ朝日》
♀黒柳 徹子 タレント 19330809 東京 /守綱の長女“トットちゃん” 羽田 健太郎 ピアノ 19490112 東京 /作曲・編曲“ハネケン”
▼ bijyou 2006-10-01 23:56:17 ベタだけどわるくないね。落ち着きがある。 『細川家には、昔はもっと良い宝物があったんですが、戦争でかなり焼 けてしまったんですよ。いやいや太平洋戦争の時ではなく、応仁の乱の 時ですがね』(細川護貞) (▲)adlib 2006-10-02 00:00 「上記発言は細川護煕の父である護貞のジョーク(Wikipedia)」 わたしの記憶では、指揮者の近衛秀麿が「前の戦争では、貴重な本を 失くした」と語ったように、作曲家の團伊玖磨が記しています。 対談集《パイプのけむり》では、兄の文麿、真梨子夫人をふくめて、 八回も登場するので、あるいは両家いずれかの受売りかもしれません。 つぎの伝聞も(なにげに)もっともらしいですね。 ── 近衛さんは生前楽界では、「おやかた」と呼ばれていた。朝比奈 隆さんが「おっさん」と呼ばれるのと同じ、尊称の混じった愛称だった。 だが近衛さんの「おやかた」は、「親方」ではなく「お館」だったらし い。つまり「お館さま」の短縮形というわけだ。さすがは堂上貴族で、 五摂家の一員らしい尊称ではないか。多分選挙運動の真っ最中だったが、 何かの会話の途中に、「あそこのうちはね、途中で代が変わっています からね」といわれた。何の話だろうとよく考えてみると「あそこのうち」 とはおそれ多くも「天皇家」のことだったのである。南北朝の時代のこ とを指してのことだろうが、近衛家はそれでも代変わりはしていないと いう、貴族のプライドのようなものがひしひしと感じられた。天皇家を 「あそこのうち」呼ばわり出来るのは、当時といえども近衛さんぐらい しかいなかったろう。 ── 出谷 啓《クラシック この演奏家を聴け! 19960410 音楽之友社》P59
近衛 秀麿 指揮 18981118 東京 19730602 74 /文麿の弟 團 伊玖磨 作曲 19240407 東京 蘇州 20010517 77 /── 《夕鶴》 出谷 啓 音楽評論 19400614 大阪 /── 《演奏会評》 http://homepage3.nifty.com/detani/new_page_1.htm
◆ 馬馳せる秋 ── 黒柳「むかし馬に乗せてもらったの。そしたら急に駆けだして、 止まらなくなったのよ。そいで一生懸命話しかけたの。帰ったらすぐに ニンジンいっぱい上げるからって。そしたらピタっと止まってくれたの」 団「なるほど、馬をも黙らせたか。馬の耳に早口だね」(うろおぼえ) ── 團 伊玖磨《なおなおパイプのけむり 〜 菜種梅雨 〜 19770429-0506 朝日新聞社》P.294(1613番 10巻 No.47) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050321 早口は三文の徳 〜 続・一芸の人々 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050203 ダ・ジャーレ記念日 〜 Viva da-Jare ! 〜 ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ http://q.hatena.ne.jp/1155690321#a588986 よく「因数分解が何の役にたつんだよ」という子どもがいます(大人 にもそういう人が稀にいます)。参照↓(略) これに対するスマートな反論をお願いします。 ▲ 15 回答者:adlib 2006-08-16 18:37:50 満足! 5ポイント 羊は何匹? ある日、散歩中の学者に、農夫が声をかけた。 「センセイ、あっちに群れてる馬が何頭か、数えられるかね」 「もちろん、簡単なことさ」 学者が、たちどころに数をいい当てたので、農夫がおどろく。 「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんです?」 「それはだな、まず足の本数を数えて、4で割るのだ」 つぎの日、散歩中の農夫に、学者が声をかけた。 「やぁきみ、あっちに群れてる鹿が何頭か、数えられるかね」 「もちろん、簡単なことさ」 農夫が、たちどころに数をいい当てたので、学者がおどろく。 「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんだい?」 「それはだね、まず角の本数を数えて、2で割ったのさ」 「馬と鹿と、どっちが数えやすいか」「もちろん馬だ」「いや鹿だ」 というわけで、どっちが利口か分らなくなる。 よーく勉強しないと、馬鹿な大人になりますよ、という教訓。 (フランス小噺と《史記・始皇本紀》二世皇帝の故事を合成) http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910330 羊たちの伝説 ▼ 質問者:tian_x2001 2006-08-16 20:14:35 「>>フランス小噺と《史記・始皇本紀》二世皇帝の故事を合成 ?? この話はご自分で創作されたものですか? いずれにせよ 「どっちが利口か分らなくなる」→「馬鹿な大人」という文脈の繋がり がよく分かりませんし、この農夫と学者が馬鹿だとは思いません。 意味のある回答とは思えません。」 ▲ adlib 2006-08-19 21:12:52 >意味のある回答とは思えません< わたしの小噺「羊は何匹?」は、無限につづくのですが、その意図が 質問者に伝わらなかったらしいので、オチと補釈を加えておきます。 (このパロディが、面白いかどうかという議論も無用です) 翌々日、散歩中の牧童に、農夫と学者が声をかけた。 「やぁきみ、あっちに群れてる羊が何頭か、数えられるかね」 「もちろん、簡単なことさ」 牧童が、たちどころに数をいい当てたので、農夫と学者がおどろく。 「たいしたもんだ、しかしどうやって計算したんだい?」 「それはだね、まず尻尾(*)を数えて、1で割るだけさ」 (*)羊の尻尾は、生後まもなく切断される(野性なら約30センチ)。 ここで、馬と鹿と羊が混在しているときには、全体の足の本数とか、 角の数を分別する必要があり、これが“因数と展開の概念”なのです。 さらに「羊は何匹?」とは“累乗冪の概念”を示したつもりです。 だれでも、馬と鹿と羊は一目で分りますが、数式上で表現するには、 それなりの法則性と約束事を、みずから発見しなければなりません。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850101 中学生諸君! Basic 5 〜 与太郎の教材 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050130 ◇ 訂正・追記(不投稿) sheep sleep 眠れる羊たち Sleeping sheep もとの西洋小噺(出典不詳)は、むかし田村くんに教わったもの。 いったい、愚かな相手をからかったのは、学者か農夫いずれか。 (初稿は、XP1977に所収) 最後は、頭数さえ数えれば、1で割らなくてもよいことが分る。 質問を左辺として、右辺に回答が出そろったら、つぎには改行して、 因数分解された方程式が書かれる。 ◇ 夏目漱石は「莫迦」と書く。 ── 馬鹿の語源の俗説として、「鹿をさして馬となす」(「史記(秦 始皇本紀)」の故事から)がある。 これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。 群臣は趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えたが、「鹿です」と 答えた者は暗殺された。 このことより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味 として使われているといったものだが、「鹿」を「か」と読むのは大和 言葉で、漢文では「ばろく」と読む。 http://gogen-allguide.com/ha/baka.html 語源由来辞典 (19781001-20060816-1002)
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