与太郎文庫
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2006年09月05日(火)  九段三代 〜 永世名人十段の師匠 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060905
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
 ↓Edita for text ↑Index 000000=19020102〜99991231
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 


 金 易二郎 将棋九段 18901010 秋田 東京 19800723 89 /#001/名誉九段“盤寿”誤19800623
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20051010 今昔キンタマ娘 〜 別れろ切れろは覚悟のうち 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050320 三寿 〜 満で傘寿・数えて盤寿・書けば半寿 〜
 
 高柳 敏夫 将棋九段 19200220 東京   20060905 86 /#031/名誉九段/金 易二郎の娘婿
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19570224 ハハシス 〜 升田王将の二・二四事件 〜
 
 中原 誠  将棋九段 19470902 鳥取 宮城       /#092/高柳 敏夫門下/20090311引退
/20070902永世十段・名誉王座/20071117十六世名人/タイトル獲得数歴代3位
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19980424 テープ&デーブ 〜 史上最低のワイドショー 〜

 
── そして、私はこの「自分の意志」ということについて、いっそう
ふかく知るにいたったのは、一昨年の十月、将棋の高柳八段が私の学校
にお見えになったときだった。
 史上最年少で名人になり、このほど永世名人位を獲得した中原誠氏が、
私の学校の第五回卒業生で、わが校の将棋クラブの歴史のうえに輝ける
地位をしめている。高柳先生が地域に住んでおられることから交流がで
きて、門下にはいったのである。中原君が中学生だったのはいまから十
六年も前のことで、むろん私はそのときのことを知らない。
 高柳先生と校長室でお茶をのみながら、いろいろと話をしているうち
に、私は天下の高柳先生の前で中原名人を偉大なものにして語るのは失
礼になるかもしれないとふと思った。私はとっさにその場をうまくつく
ろうつもりで、「八段という人はいま何人ぐらいおいでなのですか」と、
うかがってみた。
 「いまひとりへりまして、束京では八人ですが、日本全体ですと三十
人やらいかな。」
 「日本で三十人というのは大変なもんですね。私は思うんですけれど、
中原氏も先生のお弟子になって、先生のお教えを受けたために、あれだ
けの出世をしたのではないでしょうか。ちょうど地域に先生がいらして、
いい先生にめぐりあったしあわせなのかもしれません。」
 すると、それまで控えめにしておられた先生がソファに背をそらすな
り、急に鋭い目つきをなさるのだった。
 「それはちょっと……、いやだいぶちがいますな。教わろうとしたん
じゃだめなんです。わたしの将棋はわたしのものですから。これはだれ
にも伝授することはできるもんじゃありません。師弟というのはそうい
うものじゃないんですよ。要するに、自分の将棋を考えるんです。将棋
について自分の考えをいかにしてもつかということなんです。はやくか
ら中原氏はそれをもった人で、自分できりひらいていったのです。」
── 望月 一宏《中学生 その日々 19770720-19790720 岩波新書》P105-106
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20071124 棋界三美男 〜 一二あって三位なし 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20041101*色盲検査 〜 教育委員会の迷妄 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19990603*色覚異常
 
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19790720
 偏差値 〜 中学生の日々 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850101
 中学生諸君! Basic 5
 
(20090530)
 


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