与太郎文庫
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2006年08月02日(水) |
朝夜雑考 〜 ブレッソンの三周忌 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060802 http://q.hatena.ne.jp/1154528626 なぜラジオやテレビの宗教番組は早朝に集中して編成されているので しょうか? ラジオのAM放送は電波の特性として夜間帯は聴取地域が拡大するため、 布教を目的とする宗教番組は夜間や早朝に編成している、というのが個 人的な仮説なのですが、裏はとっていません。 ちなみにNHKラジオの語学番組も、近隣諸国の言語(ロシア・中国・ ハングル)は深夜帯に設定されているのですが、これも夜間帯電波の特 性を利用しているのではないかと思われますが、これも裏はとれていま せん。 尚、Wikipediaを見ても、その謎は解けませんでした。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99%E7%95%AA%E7%B5%84 しょうもない疑問・質問ですが、なんか頭の片隅に残ってモヤット感 が消えません。 関係者の方からの、スッキリ回答をよろしくお願いします。 tosato ◇ スッキリ回答、というわけにはいかないので、わたしの朝夜雑考より。 われわれは、一日のはじまりが朝だと信じていますが、ユダヤ教徒や イスラム教徒にとっては、夜が一日のはじまりです。 ユダヤ教では日没後の三等星が肉眼で見える時、イスラム教では月の 出が、もっとも厳粛な瞬間です。日本人が、日の出に向って祈るように なったのは、明治六年(18730101)太陽暦の採用以後です。 ミレーの《晩鐘》は、カトリック教会の鐘が(季節に関係なく)定刻 に響きわたるので、やむなく農民たちがスキ・クワを置いて祈ります。 http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/bougai/media/millet.gif ◇ わたしは(関係者というほどではありませんが)つぎの長寿番組に、 数年かかわったことがあります。(ラジオ第二放送に同名の番組あり) 《宗教の時間 196204‥ → こころの時代 198204‥ NHK教育TV》 往時のプロデューサー、阿満利麿(のちに明治学院大学教授)氏は、 京都大学哲学科出身、仏教住職を父にもつ、品行方正の秀才でした。 最近の出演者(聖職者や宗教学者)は、なぜか自信を失っています。 ほとんどの宗教番組は、往年の《ルーテル・アワー》のような、CM スタイルの布教活動ですが、NHKでは“宗教哲学”の紹介が目的です。 早朝に集中する理由は(視聴率など)主に編成上の都合でしょう。 わたしの亡父は、毎朝かならず神棚に拍手を打って、仏壇に合掌し、 水と花を取りかえていましたが、夜はもっぱら俗物(晩酌)でした。 三度の食事にも手を合わせていたので、合計五回祈っていたのです。 その亡父でさえも《宗教の時間》の視聴者ではなかったのです。 さらに、このような日常の宗教習俗を失った日本人は、イスラム教徒 が一日五回も礼拝すると聞いて、狂信的なイメージを抱くほどです。 ◇ なお、わたし自身は、ブレッソン晩年の発言に共感しています。 「わたしはアナーキストだ。そして無神論者だ、とくにカトリックのね」 Cartier-Bresson,Henri 19080822 France 20040802 95 / http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050605 カメラマン 〜 男の中の男ども 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19110125 大逆事件の人々 〜 命日順 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030325 報復の暦 ◆ 金光 寿郎《宗教の時間 19460120(日)08:30-09:00 NHKラジオ第二》17:30-18:00(再)
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