与太郎文庫
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2006年06月26日(月) |
なにかと3億 〜 セレブ母娘の事件簿 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060626 年収3億、家屋3億、身代金3億。21歳の娘を「ちゃんづけ」で呼 ぶなど、ワイドショー向けの事件だが、解決後の囲みインタビューでは、 空気の抜けた風船のように冴えなかった。 犯人「冷蔵庫の中には食料もある」ドラマのような脅迫電話。 母「ひとり?」娘「ううん、二人」母「どこ?」娘「マンションの一階」 13時簡に14回目の電話録音。母「日本の警察に感謝します」 ── 自分で言うのも変ですけど、わたしって、“正義漢”なんです。 自宅や病院の休憩室でテレビを見ていると、『銀行強盗は車を奪って逃 走中です』とか『脱税の全容はいまだ明らかになっていません』という ニュースが流れるでしょう。わたしはニュースを見終わったら電話をか けるようにしているんです」 どこに? なんのために? 「もちろん警察署です。自宅と病院を管轄している渋谷警察署にハッパ をかけるんです。『早く捕まえなさいよ、頑張って』って。おかしいで すか?」 http://khon.at.infoseek.co.jp/chosha/i061.html ── 《天才美容外科医 池田優子 20020427 銀河出版》初版より ── 池田 ゆう子さんはお金に不自由せず、男にも不自由しなかった。 資産500億円のボンボンと結婚するまでは、順風満帆の人生だった。 http://777.boy.jp/seikei ── 《池田 ゆう子の実録人生》 >> 20060626 12:25 ca 東京都渋谷区鉢山町、池田優子さん(47)の長女、 果菜子さん(21)が自宅近くの東急バス停前路上で車に乗った男に声を 掛けられ誘拐される 20060626 12:27 ca 優子さんの携帯電話に果菜子さんから「車に無理や り乗せられてしまったの」と電話。代わって電話に出た犯人は「私たち は優子さんの技量次第で決まりますよ。警察に言えばすぐに殺しますよ」 と初めて連絡 20060626 12:46 ca 誘拐の目撃者が鉢山交番に届ける 20060626 12:56 ca 優子さんの携帯電話に犯人から2回目の電話。優子 さんが「今お金用意できるのは4、500万ぐらいです」と話すと、犯 人は「娘の値段はそんなもんですか」「3億ですよ」 20060626 13:08 ca 優子さんの携帯電話に犯人から3回目の電話 「どうですか」 20060626 13:22 ca 犯人から4回目の電話 20060626 14:52 ca 犯人から5回目の電話 20060626 16:20 ca 犯人から6回目の電話。「30分後に電話する」 20060626 16:45 ca 犯人から7回目の電話。 優子さん「娘の声を聞かせて」。犯人「大丈夫」 20060626 16:58 川崎市中原区の中丸子交番前で容疑車両発見 20060626 17:35 ca 犯人から「お金が手に入ったら、かなちゃんは解放 する」と8回目の電話 20060626 19:00 ca 犯人から9回目の電話。優子さん「かなちゃん、大 丈夫?」。果菜子さん「大丈夫だよ」「おうちに帰れる?」 20060626 20:16 犯人から10回目の電話。優子さん「かなちゃんは?」。 犯人「今食事している」 20060626 21:07 犯人から11回目の電話。優子さん「かなちゃんの 声を聞かせてくれますか」。犯人「バラバラになって行動している」 20060626 22:01 犯人から12回目の電話。犯人「どうなってます」。 優子さん「もう少し待ってください」。犯人「23時にまた電話する」 20060626 22:54 警視庁が記者クラブに報道協定を申し入れ、仮成立。 20060626 23:42 報道協定成立。 20060626 23:05 ca 犯人から13回目の電話。優子さん「3千万円を準 備できそう。もう1回かなちゃんと話をしたい」。犯人「今寝てると思う」 20060626 23:10 ca 犯人から14回目の電話。犯人「いくらなら大丈夫」。 優子さん「3千万円です」。犯人「明日午前10時に電話する」 20060626 24:42 ca 警視庁が車両を追尾し、JR川崎駅付近で男2人の 身柄を確保。男は「(被害者は)川の近くのマンション305号室にい る」と供述。 20060626 25:25 果菜子さんを川崎市内のマンションで保護。 http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200606/sha2006062701.html ── 《誘拐ドキュメント 20060627 サンスポ》
小林 実 産婦人科医 192.‥‥ 茨城 /池田 優子の父(清和源氏の武家筋) ♀小林 汎子 実の妻 1928‥‥ 茨城 /旧姓=秋山(正田家の遠縁) 小林 泰彦 産婦人科医 1954‥‥ 茨城 /池田 優子の兄。父を継ぎ小林医院長 ♀池田 ゆう子 カリスマ女医 1959‥‥ 茨城 /旧姓=小林 優子 池田 □□ 優子の元夫/資産500億円のボンボン/1983結婚1985離婚 ♀池田 果菜子 優子の長女 1985‥‥ 東京 /明治学院大学4年生/会社経営 ──────────────────────────────── □□ □□ 警察官 19‥‥‥ ‥‥ /20060627突入時に受傷 崔 基浩 職業不詳 1952‥‥ 横浜 /韓国籍/横浜市鶴見区小野町10 伊藤 金男 職業不詳 1957‥‥ 岩手 /通称=村上/岩手県矢巾町白沢6/発砲 李 勇 職業不詳 1977‥‥ 中国 /中国籍の住所不定
>> 注意:このサイトは書籍を推奨するものではありません。判断は自己 責任でお願いします。 池田優子 鳳凰製薬HP内のページより ★テレビや雑誌等で活躍中の美容外科医 カリスマ美容外科医Dr. 池田優子も絶賛!!【鳳凰軽身痩】 ガッツ石松使い偽チラシ、「やせる水」を販売(ZAKZAK、20031031) 島田 耐三《ラブハーツ Love hearts わたしは女性が自分を磨くた めの力になりたい 《天才美容外科医 池田優子。 その『カリスマ性』とは―。20020427 銀河出版》初版より 《目次のページ》 わたしのモットーは“トータルビューティーデザイン”今度オープン させた『池田ゆう子クリニック』では、美容整形はもちろんですが、エ ステも併設しています。わたしを必要としている全ての女性に幸福な人 生を送ってもらうためにこそ仕事をしているんです。 池田優子 《7〜8ページ》 それから三ヶ月はたっただろうか。年末の札幌・大通公園でひさびさ の散歩を楽しんでいると、けたたましい携帯電話の呼び出し音が鳴った。 日ごろ懇意にしている女性誌の編集者からだった。 (略) 「実は仲のいい女医さんがいてさ……面白い人だから、ともかく会って みないか」「いいけど、ひょっとしてその女医さんを取材してほしいっ てことなの?」(略) その電話がすべての始まりだった。 《37ページ》 池田優子は茨城県・古河市で生を受けた。歌手・森高千里のヒット曲 で一躍有名になった清流・渡良瀬川が郊外を流れる美しい街だ。 父親の実さんは地元では有名な産婦人科医、母親の汎子さんは皇后・ 美智子さま(正田家)の遠縁にあたる良家・秋山家の血筋。兄弟は兄が 一人。五歳年上で、現在父親の跡を継いで古河市の「小林医院」を守っ ている泰彦さん。 父親の実家である小林家はもともと清和源氏の流れをくむ武家の血筋。 《49ページ》 それでも中学校の三年間はなにごともなく過ぎ去り、彼女は祖母と母 親も通った浦和市内の名門・浦和第一女子高等学校に進学する。(略) また、浦和一女に入学した年、三歳から続けてきた努力が報われ、日 本舞踏若柳流の師範名取を許されている。なにもかもが予定通りだった… …はずだった。 古河の神童がレールを踏み外す日は突然やってきた。 《53〜54ページ》 医学部を受験しないことを決意した(というのもおかしな話だ)池田 が考えたことはもっと突拍子もないことだった。 「ずっと隠してたけど本当は女優になりたかったんです。それで放送関 係がいいかなと。たんにあまり深く考えてなかったという説もあります が(笑)。いずれにしても、医学部を受験するだけの学力を持っていな いことは自分でもわかっていました。あれだけ遊びまくってたんですか ら」 最後の最後で進路変更したにもかかわらず、結局倍率三十三倍の難関 をくぐり抜け、池田は志望通り日本大学芸術学部放送学科に合格した。 《77ページ》 「その通りかもしれません。確かに、当時は誰もがうらやむ幸せな結婚 でした。今でも母はそういいます。 結婚披露宴は、虎ノ門のホテルオークラで二百五十人ほどを招いて開 きました。父と母は終始嬉しそうな顔をしていました。二人の笑顔を見 ていると、結婚して本当によかったと思いましたね。当時はまだOL生活 を送っていたペコ(家田荘子)も来てくれて、得意のエレクトーンを聴 かせてくれました。曲は学生時代にハマっていたアース・ウィンド&ファ イアの名曲『宇宙のファンタジー』。二次会は日大芸術学部の友人がセッ ティングしてくれて、午前二時くらいまで騒ぎました」 《86ページ》 大きな波風は立たなかったが、心のモヤモヤは晴れぬまま一年が過ぎ た。そして明くる年の三月、池田は待ち望んでいた子供を無事出産する。 この子が現在女子高に通っている、娘の果菜子ちゃんである。 《106ページ》 果菜子ちゃんを連れて古河市の実家に戻った池田は、話し合いの経緯 を両親に伝えた。彼女にしてみれば屈辱の報告に違いなかったが、両親 は落胆するでもなく、人生はじめての大きな挫折を味わい帰ってきた愛 娘を温かく迎えた。 父親の実さんは結婚を許した責任を感じ、みずから神宮前のビルを訪ね て女婿と話し合いの場を持った。結局は弁護士を両家の間に立てること になり、池田が埼玉のマンションに移ってからちょうど一ヶ月たった六 月末、協議離婚が決まった。 《111〜112ページ》 「もう一度やり直そう」。そう決意した池田だったが、いきなり美容外 科医への道に足を踏み入れたのかというと、そうではない。 「検事になろうって考えたんです。突拍子もないと思ったでしょう。で も、高校時代のわたしが『女優になりたい』って言ってたのとは全然違 うんですから(笑)。実は小学校の卒業アルバムには「法学者になりた い」って書いたんですよ。母は医学部受験をさせようと思っていたんで すがね。 自分で言うのも変ですけど、わたしって、“正義漢”なんです。自宅 や病院の休憩室でテレビを見ていると、『銀行強盗は車を奪って逃走中 です』とか『脱税の全容はいまだ明らかになっていません』というニュー スが流れるでしょう。わたしはニュースを見終わったら電話をかけるよ うにしているんです」 どこに? なんのために? 「もちろん警察署です。自宅と病院を管轄している渋谷警察署にハッパ をかけるんです。『早く捕まえなさいよ、頑張って』って。おかしいで すか?」 十分おかしいし、渋谷警察署だって忙しいのに迷惑していることだろ う。 《127ページ》 池田が二度目の大学生活を送った、東京都・三鷹市にある杏林大学医 学部を訪ねてみた。 《133ページ》 結局、入局決定まであと一週間というギリギリのところで、池田は終 始心配してくれた心臓外科の教授に詫び、形成外科への入局届を提出し た。 《140ページ》 この事件の後、池田は大きな方向転換に打って出る。研修後は大学病 院や大学の関連病院に残る医師が多いなか、いきなり独立することに決 めたのだ。 《161ページ》 オープンの準備が整ったクリニックにふらりと池田を訪ねた。 JR渋谷駅をハチ公口から出て、線路沿いに歩く。若者たちがタワー レコード前で立ち話をしている。陽気な春休みの雰囲気に足を止め、目 の前にあるビルを見上げると、取材中に池田がこだわりを語ってくれた 『池田ゆう子クリニック』の斬新なロゴが目に入った。 http://khon.at.infoseek.co.jp/chosha/i061.html << ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ (20060627)
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