与太郎文庫
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2005年08月26日(金)  喪章のホームラン 〜 母に向って打て 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050826
 
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 天国の母に捧げる2発…燕・岩村が喪章&プロ魂みせ4打点
 
 打ったぞ、おかん見てたか−。七回、この日2本目のホームランを放
った岩村は天国の母に向かって、小さく合図を送った=撮影・春名中
(セ・リーグ、ヤクルト8x−7横浜、11回戦、横浜6勝5敗、26
日、神宮)天国の母に捧げるホームラン−。ヤクルト・岩村明憲内野手
(26)の母・美千代さん(享年58)が、26日未明に肺がんのため
亡くなった。最期に立ち会うことができなかった岩村は、喪章をつけ、
試合出場を直訴し、4打数3安打2本塁打で別れを告げた。ホームを踏
んだ瞬間、天に向かって指を指した岩村。最愛の母との思いが溢れ返り、
試合後は号泣した。
 
 試合結果へ
 
 夜空の星になった母親をグラウンドから見上げた。最愛の母・美千代
さんへ届けた2本のアーチ。息子に戻った岩村が天国に旅立った母親を
そっと本塁から指差した。
 
「きょうの三塁打と、2つのホームランは母親が打たせてくれたと思う。
今のオレがあるのは母親の存在がほとんど。プロ野球選手として目の前
の試合を放棄することはできないし、母親もそんなことは望んでいない
と思った」。試合後はあふれる涙に、何度も何度もタオルを目にあてた。
ユニホーム姿の男が、号泣した。
 
 故郷・宇和島から電話が鳴ったのは、この日の午前2時過ぎだった。
肺がんのため治療中だった最愛の母が、58歳で息を引き取ったという
悲しい知らせ。あまりに突然の最期。ぼう然としたまま、2時間しか眠
れなかった。
 
 それでも人生で最も悲しい日にグラウンドに立つことを選んだ。「覚
悟はしていた。死に目にあえないのは辛いけど、おれのやらなくてはい
けないことは東京にある。実家に帰るのは甘えだと思って、やめた」
 
 三回に同点の三塁打を放つと、4−4の五回には勝ち越しの2ラン。
そして七回にはバックスクリーンへ2打席連続の23号。4打数3安打
4打点。左袖に黒い喪章をつけ打ちまくった。
 
 母親が経営する美容院の横で、壁あてをして育ったのが岩村の原点。
あまりの野球好きに美容院の壁が壊れたというのは、生前の母親が大好
きな話だった。がんを知ったのは昨年の6月21日。松山遠征で地元に
戻ったときに、医者に告知され、「たばこも吸わないのに、おかんがな
んでや!」。病院で絶叫し涙を流した。昨年秋には東京に呼び寄せ、最
先端の治療を受けさせたが、今年6月に再入院。6月13日に美幸貴さ
んと入籍し、息子の幸せな結婚を喜んだ数日後のことだった。
 
練習後に報告を受けた若松監督は「何度も“行ってあげなさい”と説得
したんだけど、本人が大事な試合だからと言ったから」と話した。
 
 27日、28日の横浜戦(神宮)にも出場する決意を固めており、試
合休日の29日まで宇和島の母親の元には帰れない。それまでは生きて
いる間に素直に伝えられなかった感謝の言葉を白球に込め、最愛の母親
を送り出す。
(河野聖)
http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200508/bt2005082702.html
 
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 岩村 明憲  プロ野球 19790209 愛媛 /敬士の弟/宇和島東高校→1997ヤクルト
♀岩村 美千代 明憲の母 1947‥‥ 愛媛 宇和島 20050826 58 /喪主は夫芳昭。
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 大杉 勝男  プロ野球 19450305 岡山 東京  19920430 47 /1970-1971本塁打王
/フライヤーズ1975ヤクルト日本シリーズ第七戦・疑惑の本塁打“月に向って打て!”

 
作成日: 2005/09/04


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