与太郎文庫
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2005年03月21日(月)  早口は三文の徳 〜 続・一芸の人々 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050321
 
 たったいま思いついたダジャレ「早口は三文の得(徳)」
 黒柳 徹子のギャラは割安だ。他のタレントの三倍しゃべるから。
(彼女のタマネギ頭は、どこからカツラでどこから帽子なのか?)
 
 むかし《漫画読本 196. 文芸春秋》の、私の尊敬する人というリレー
連載で、彼女は「無口な三人」をあげた。
 和田 誠の似顔絵で、沢村貞子などが紹介されていた(秀作)。
 
 彼女の父・守綱はNHK交響楽団のコンサート・マスターだった。
 終戦のころは、ソ連の捕虜になっていたが、家族は毎日「尋ね人」の
ラジオに耳をかたむけていた。
 
 守綱は、バイオリンを与えられて収容所めぐりをしていたという。
 ほかの捕虜が、過酷な重労働をする中で、まさに芸は身を助けたのだ。
 収容所における“一芸の人々”には、ワイダンの達人もいたそうだ。
 
 胡桃沢耕史は、徹子の部屋で「ソ連は、すべての日本人を奴隷にして
未来永劫に使役させるつもりだった」と述べている。近衛秀麿も「一個
の角砂糖が、身体のすみずみにしみとおるように感じた」と回想する。
 
 

 情報が命を救う(1) 
 
―― 放送開始80周年に当たり、放送の在り方を2回に分けて探る。1回
目は、最初の放送メディアであるラジオ放送の歴史を振り返る。日本で
ラジオ放送が誕生した背景には、1923年9月に起きた関東大震災があっ
た。震災では情報発信の中心地である東京が大きな被害に遭ったため情
報が混乱し、朝鮮人虐殺事件が起きた。震災後、そのような悲劇を防ぐ
ためにも放送が必要だという意見が広まり、公益法人によるラジオ放送
が始まった。その後、放送は災害随時放送の充実など命を守るメディア
として成長し、戦時中の情報統制という暗い時代を経て戦後を迎え、新
たな社会をつくる使命を担っていくようになった。
 
〜 ラジオ80年にみる放送の原点/よみがえる歴史を彩ったあの音
/虐殺80万人ルワンダの悲劇/地震その時ラジオは 〜
―― 《NHKスペシャル 2005-03-21(月)19:30〜20:45 NHK》
 
 
 ↓
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1283465
 
http://www.hatena.ne.jp/1111491495
question:1111491495


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