与太郎文庫 DiaryINDEX|past|will
さらに2007年6月X日は同志社高校シンフォニエッタ50周年、 それまでに“器楽部ネット同窓会 1931-1962”を発足する予定です。 その節は、かならずこの掲示板にも報告しますので、何卒よろしく。 http://www57.tok2.com/home/hosannafamily/yybbs/yybbs.cgi >> グリーの話ですが 投稿者:森本 潔 2004/09/01(Wed) 10:05 No.605 70年代卒の皆さんが現役の合宿、Camp Fire, Council Fireの話題で 盛り上がっているところに、高齢者が割り込むような気分ですが、この サイトを実に来られる方々にお知らせしておきたいことが一つあります。 それは、来る10月10日大学の寒梅館(新学生会館・烏丸上立売?)にて グリーの100周年記念式典(午前)及び記念音楽会(午後)が行われると 言うことです。我々のホザナ時代は「卒業したらグリー」と先輩たちと も良く話していたものです。その意味でホザナの兄貴分にあたるグリー が100周年を迎えることを皆さんが知っていてくださると嬉しいです。 Re: グリーの話ですが 藤田@73 - 2004/09/02(Thu) 09:45 No.606 お久し振りです。 合宿、楽しかったですよ。馴染むのに少し勇気が要りますが。(笑) またご一緒に、是非! 100周年とは、それはそれはまた大きなイベントが催されるのですね。 「ホザナを卒業したらグリー」という合言葉だったのですか。 「100周年」、う~ん、兄貴分の風格はたっぷりですね。 新学生会館『寒梅館』、素敵な場所ですよ。 大盛会をお祈りいたします。 (どなたでも自由に入場&観賞できるのでしょうか?) お知らせ、どうもありがとうございました。 藤田@73さんへ 森本 潔 - 2004/09/02(Thu) 12:52 No.607 早速のリアクションありがとう。管理人さんの素早い反応により、ま たまた書き込む勇気?がでてきます。さすがに合宿を訪問するのは勇気 がいりそうですね。どちらかと言うともう孫の年代に近い?人たちの集 まりですから・・・・。しかし言えることはフェアフェルやCSの曲目 を見る限り、いつでも飛び込めそうな気持ちになるのです。 寒梅館は私も5月23日に初めて「100周年合唱フォーラム」で中に入り ましたが、本当に素晴らしい建物であり、ホールであると感じました。 入場・鑑賞については午後の演奏会はなにかの形で入場券(当日券)を 出すのでは思います。全て京都でコントロールしていますので、時々次 のサイトを覗いて見てください。年代別に10のグループが夫々の時代の 曲を持ち寄る演奏会で、またとない歴史を感じさせる演奏会になるよう 企画し、準備が進められています。ちなみに私は最高齢グループ(昭和 37年卒以前)のグループで3曲振ります。 グリー www.donet.gr.jp/~gleeclub/index.html OB会 www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/9920 ──────────────────────────────── 74年度生NKさんへ 森本 潔 - 2004/09/03(Fri) 15:52 No.609 太子山は今年一番籤を引いたのでしたね。グリーの現役は100周年の 年に良くぞ一番が引けたと(彼らが引いたわけはないのでしょうが)喜 んでいましたよ。OBの撮影班も同行したとか・・・。ところで、太子 山と言えば、油小路ですね。またまた古い話で恐縮ですが、私の母の実 家が四條を少し下がった所にあって、昔は良くあのあたりに行きました。 もう40年余まえの話ですが。向かいに石野の白味噌があって、私の2年 下にホザナのメンバー(ソプラノ)が居ました。お姉さんはたしか大学 時代にマンドリンクラブだったと記憶しています。古い良き?時代の京 都を思い出しています。まだ、堀川通りにチンデンが走っていた頃のこ とです。 10月10日が本当にホザナのOB/OG会になると嬉しいですが。 ホザナも創立八十数年になると思います。(大正11年頃の記録にあり ます)。ジュニアグリークラブ、ダビデクワイアーなどから成長して 中堀先生が同志社に来られてから数年後にホザナコーラスと呼ばれたと ホザナ70年誌(中堀先生追悼号)にあります。ホザナの100周年もそん なに遠くないですよ。 << (追記) 与太郎は、ホザナ発表会の第一回を逆算して60周年だと推していた。 森本氏は、中堀先生の追悼誌から「大正11年頃の記録」に拠っている。 すでに《ホザナ70年誌》があるので、もはや動かせない歴史的事実か? しかし、そうなると第一回発表会の年次は、どう考えるべきか。毎年 開催されたのではなく(初期のころは)不連続だったのか。おそらく、 発表会にこだわらず、聖歌隊として結成された年代をもってするらしい。 公明党の政教分離ごときもので、聖歌隊としての宗教活動と、合唱団 としての演奏活動のいずれを主とするかによって、視点がことなるのだ。 与太郎の判断は、聖歌隊にしてはメンバーに受洗者が少ないと思う。 ><
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