与太郎文庫
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2004年03月30日(火) |
泣かない女たち 〜 新谷 のり子の場合 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040330 フランシーヌの場合 >> フランシーヌ・ルコント(Francine Lecomte)を覚えていますか? 「フランシーヌの場合」と言えば思い出す方々もおられると思います。 1969年3月30日の日曜日、この日の朝女学生だったフランシーヌ 嬢はベトナム戦争とビアフラの飢餓問題に抗議してパリで焼身自殺しま した。 彼女は当時盛んだった学生運動に参加して反戦活動をしていました。 当時日本では新谷のり子さんが「フランシーヌの場合」という曲を唄 い話題になりました。 私も当時小学生だったかと思いますが、ラジオでこのニュースを知り ました。とてもショッキングな事件でした。 この曲は日本で作詞・作曲されたものですが、 「フランシーヌの場合は・・あまりにもお馬鹿さん・・」と唄われてい ます。彼女がお馬鹿さんだったのか、それとも彼女のメッセージを忘れ てしまう我々がお馬鹿さんなのか・・ それから30数年、今では彼女の事はほとんど語られる事も有りませ ん。 日本では新谷さんが今も歌手活動を続けておられるようで、彼女のコ ンサートでは「フランシーヌの場合」も唄われている様です。 1969年と言えばもちろんまだインターネットもありません。 個人がメッセージを発信する方法として、フランシーヌは「焼身自殺」 という方法を用いたのでしょう。 彼女が命と引き換えに発信したメッセージが埋もれてしまい忘れ去ら れてしまうとすればこれ程不憫な事はありません。 今日確かにとうの昔にベトナム戦争は終結しましたが、また別な所で 戦いが起き未だひとときの平和も訪れた事がありません。
たまには彼女の事を思い出してあげてください。 また興味を持たれましたら彼女の事を調べてみてください。 (図書館にある古い新聞に当時のニュースが掲載されています。 例:1969年3月31日付 朝日新聞夕刊) ただ馬齢を重ねて生きている私にはネットでこういったページを作る ことぐらいしかできません・・
彼女に関する情報や資料がございましたらご連絡ください。 ──────────────────────────────── ジャケットの下半分のタイプ文字はフランス語で書かれた当時の新聞 記事の様です。BiafraやVietnamといった記載があります。 曲の中では当時のニュースがフランス語で流れます。 このレコードは「反戦歌手」新谷のり子さんのデビュー曲になり、当 時80万枚売れました。古レコード屋さんでは安価に入手出来るはずで す。 新谷のり子さんは「フランシーヌ はたち」という本を出していた様 で、この本にフランシーヌの記述があるものと考えられます。 一度読んでみたいものです・・。 また、「ビアフラ 餓死で亡んだ国」という本を伊藤正孝という方が 出版されており、フランシーヌに関しての記述があるそうです。こちら は比較的入手し易い様です。読んだ方からの情報では、本国フランスで はこの本が出版された1984年当時既に忘れ去られていたそうな・・ ── http://member.nifty.ne.jp/junsuzuki/pagefrn.htm << ── いまいずみ・あきら・作詞/郷 伍郎・作曲/大柿 隆・編曲/ 新谷 のり子・唄《フランシーヌの場合 19690615 日本コロンビア》 CD-24
♀Lecomte,Francine 反戦女学生 1949・・ France Paris 19690330 20 焼身自殺 ♀新谷 のり子 反戦歌手 19491003 北海道 /2002(55?)結婚/籍=□□ 則子
函館出身。昭和44年にフランス語の歌詞とニュース部分を古賀力が デュエットした「フランシーヌの場合」でデビュー。フランシーヌとは ビアフラ内戦に抗議してパリで自殺した女性の名前。新谷はあらやが本 名なのだが、淡谷のり子と紛らわしいため、しんたにを芸名にしている。 その後は一貫して歌を通じての社会運動や左翼運動に従事。デュエット した古賀力は佐世保出身で、33年に歌手デビュー。43年から赤坂でシャ ンソンバーを経営する傍ら歌手活動を続けている。
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