与太郎文庫
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2003年12月24日(水) |
おやおや? 〜 続・親の顔 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031224 むかし大掃除の時などに畳をひっくり返して、敷かれていた古新聞に 読みふけったという経験談は、誰でも思いあたる。 書庫に入ったまま出てこない老主人が、梯子の途中で、脇の下や膝の あいだに数冊の本をはさみこんだまま、一心不乱に読みふけっている姿 を描いたエッチング画も忘れがたい。(←岩波・図書の表紙) ネット・サーフィン(もはや死語か?)で、何気なく調べはじめて、 いつのまにか意外な事実に引きこまれてしまうことがある。 >> 僕の母は、明治四二年に東京神田三崎町に生まれた。 旧称東儀秀子という。母の家は、四天王寺の雅楽を伝える家であった が、維新の時に宮中とともに東京に移った。 母の祖父は、子供(僕の祖父)に雅楽を強制せず洋楽に進むことを許 した。その為宮中からの家禄に頼っていれば志が鈍るとして家禄を辞退 した。祖父は、苦学して東京音楽学校でバイオリンを学び同級生と結婚 した。おそらく日本での学生結婚第一号だろう。祖母も尾張から父を説 得して東京に飛び出し音楽学校に学んでいた。残っている写真をみても 祖母はきれいだ。卒業後音楽学校でバイオリンを教えていた祖父の家に 遊びに来た学生が、祖母を妹と勘違いして、嫁にいただきたいと、祖父 に頼んできたという話を母がしていた。 その頃西洋音楽を学ぶものは、総て外国人の教師について学んだ。し たがって祖母は、洋服も縫うことができタンシチューも作ることができ た。したがって僕の母のタンシチューも美味い。 母は、ドイツ人にピアノを学んだ。 父と母は、ベートーベンのクロイテェルソナタをピアノとバイオリン で演奏した。母は、評論家の俵孝太郎さんの妹のピアノの家庭教師をし たことがあったが、俵さんはその著書で「東儀秀子さんは、その当時和 服やモンペだけの時代に洋服姿で颯爽と現れた」と書いている。 母は、その語るところによると娘時代には西洋人と論争してうち負か すのが得意だったらしい。その頃ドストエフスキーやロマン・ロランや トルストイをよく読んでいたようだ。 http://www.n-shingo.com/profile/page08.html ── 西村 眞悟《僕の生い立ち 〜 疾風怒濤前夜 2 〜》 << 両親は国会議員とピアノ教師である。そのふたりが、まるで無造作に 「ベートーベンのクロイテェルソナタをピアノとバイオリンで演奏した」 と書かれているのに、おどろきを禁じえない。 東儀一族のピアノ教師はともかく、弁護士あがりの国会議員の父が、 どうしてヴァイオリンを学ぶことができたのか? ベートーヴェン《クロイツェル・ソナタ》は、ヴァイオリン奏鳴曲の 傑作であるばかりか、トルストイの小説になるほどの霊感あふれる作品 であり、気宇壮大な大曲である。さらに息もつがせぬスタッカートなど、 技巧上の難曲であって、とてもアマチュアの手におえるものではない。 食事のあとのホーム・コンサートで、ひょいと手合わせするような、 アンコール・ピースには適していない。 いくらなんでも、まさかと思いながら調べているうちに、削除された 「メルマガ」を Google キャッシュで読みだし、ようやく謎が解けた。 「父と母」は、正しくは「母の父と、母」でなければならなかったのだ。 >> やはり、この欄で、母のことをお伝えしよう。なぜなら、私は、母な くして存在せず、私の政治活動も、母なくしてないからである。 母西村秀子(洗礼名 マリア)の歩んだ道のり 母は、明治四十二年一月二十日に、東京の神田で生まれた。父は東儀 哲三郎、母は東儀サイ。母は、三人兄弟の二女であった。母によれば、 思い出の東京の、赤坂見附から溜池にかけては池があったし、靖国神社 の鳥居のしたは階段であった。 東儀家は、宮中の雅楽を伝える家であったが、父哲三郎は、明治維新 の時代に生きて、西洋音楽を志し、母が生まれた頃には、上野の東京音 楽学校でバイオリンを教えていた。この雰囲気のなかで、母はピアニス トを志す。現代のように学校でピアノの先生がいないので、ドイツ人の 音楽家を家庭教師に招き、一対一でピアノを学んだ。そして、父哲三郎 はバイオリン、娘の母はピアノでベートーベンのクロイテェルソナタを 演奏した。母の一家は西洋音楽を身につけた最初の世代の日本人といえ る。 http://www.emaga.com/bn/?2002120060668363006362.shingo ── 西村 眞悟《母の事 20021218 眞悟の時事通信》 << おなじように驚いたケースでは、昨年の春、アメリカ大統領補佐官が、 ブラームス《ヴァイオリン・ソナタ》をヨー・ヨー・マと共演している。 ( the Slow Movement of Brahms' Violin Sonata #3 in D minor ) 当代随一のチェリストが、チェロのために編曲したもので、叙情的な 緩序楽章(全曲ではなく)を取上げたらしい。それにしても公式の場で あるから、余興や座興のレベルではない。 彼女の黒鷹みたいな目つきは、ただものではなかった。ピアニストの 母が三歳から教えたというが、おなじ経験をもつ少女は無数に存在する。 まさにアメリカの文化的威信を誇示するような演出だった。 >> ヨ─・ヨ─・マの伴奏者にライス米大統領補佐官 20020423[ワシントン 22日 ロイタ─] 米ナショナル・メダル・オブ・ア─ツ賞授賞式が開催され、コンドリ ─ザ・ライス大統領補佐官(国家安全保障問題担当)が、チェリストの ヨ─・ヨ─・マの伴奏者を務めた。 ブッシュ大統領が耳を傾けるなか、補佐官は、受賞者のマとブラ─ム スのバイオリン・ソナタを演奏。見事なピアニストぶりを発揮した。 このほか、カントリ─歌手ジョニ─・キャッシュ、映画監督のマイク ・二コルズ、俳優で製作者のカ─ク・ダグラスらが受賞。 同賞は、米国の芸術に貢献した個人や団体をたたえるため、レ─ガン 元大統領によって1985年に設立された。 <<
Yo Yo Ma(馬友友) チェロ 19551007 Paris America /1962移住 ♀Rice,Condoleezza 大統領補佐官 19541114 America
>> コンドリ─ザ・ライス アラバマ州バーミングハム生まれ。74年デンバー大卒、75年ノートラ ダム大で修士号、81年デンバー大で博士号。スタンフォード大教授から 89-91年国家安全保障会議(NSC)のソ連・東欧担当上級部長。その後スタ ンフォード大に戻り、2000年大統領選でブッシュ陣営の外交政策顧問。 2001年1月“黒人女性初の大統領補佐官”国家安全保障問題担当。 << http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20030524 → 2003年05月24日(土) 《クロイツェル・ソナタ》
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