与太郎文庫
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2003年10月14日(火) |
ここに泉あり 〜 群響の虚実 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031014 >> 解説 今井正が「にごりえ」に次いで監督する映画で、群馬の地方交響楽団 をモデルに「浮雲」の水木洋子が脚本を書き、「愛すればこそ」の中尾 駿一郎が撮影に当り、同じく団伊玖磨が音楽を担当する。主なる出演者 は「あなたと共に」の岸恵子、「人間魚雷回天」の岡田英次、「学生心 中」の小林桂樹、「浮雲」の加東大介、「銀座令嬢」の三井弘次、「姿 三四郎 第二部(1955)」の東野英治郎、「哀愁日記」の草笛光子等で、 山田耕筰のほか楽団人も特別出演する。 あらすじ 人心のすさみきった終戦直後、群馬県高崎市に生れた市民フィルハー モニーは、働く人や小学生に美しい音楽を与えようとしたがマネージャ ー井田の努力にも拘らず、楽団員の生活も成りたたない有様だった。楽 団で唯一人の女性佐川かの子は、音楽学校を出たばかりのピアニストだ が、田舎では腕が落ちるのを悩んでいた。新しく東京から参加したヴァ イオリンの速水は彼女を励ますが、彼自身も同じ苦しみを味っていた。 生活の苦しさに脱退する者もあったが、深山の奥の小学生や鉱山や癩療 養所などに出かけて、音楽を喜ぶ人々を見ると、一切の労苦も忘れた。 速水とかの子は結ばれて結婚したが生活は苦しく技術への不安も大きく なるばかりだ。軍楽隊上りの工藤や丸屋は、仲間の楽器を質に入れたり、 チンドン屋になったりしたが、それでも頑張っていた。井田は東京から 山田耕筰指揮の交響楽団とピアニスト室井摩邪子を招いて合同大演奏会 を開いた。余りに大きな腕の違いに一同は落胆したが、それから二年後、 山田氏は旅の途中で彼等の練習所へ立寄った。生活と闘いながら彼等は 立派な楽団に成長していた。かの子は赤ん坊を背に、皆と一緒に、野を 越え山を越えて、人々の心に美しい音楽を与えるため歩きつづけた。 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24405/story.html ── 岩崎 昶&市川 喜一・製作《ここに泉あり 19550212 独立映画=松竹》 << >> 第九への果てなき道 〜 貧乏楽団の逆転劇 〜 昭和20年11月、群馬県高崎市の集会所で6人の男たちが頭を突き 合せていた。この男たちは、忌まわしい過去を背負っていた。 戦中、「音楽挺身隊」として戦意高揚を掲げ、軍需工場を巡回。その 後、そこで働く多くの市民が空襲で亡くなっていたのである。 丸山勝廣をリーダーとするこのメンバーは、「日本を音楽で奮い立た せたい」という大きな夢を持っており、その後、18人でオーケストラ を結成し、演奏会を開いた。 しかし、腕がなく客は減り、集めた若き音楽家たちは極貧生活に陥っ た。それでも、諦めなかった丸山は、「オーケストラを出前しよう」と、 起死回生の案をひねり出す。県内の小学校を訪問しては音楽を奏で、一 人十円の料金をもらう前代未聞の「移動音楽教室」。メンバーは、重い 楽器を抱え、山から山へと旅を続け、年に300回の演奏を行った。 しかし、貧困は凄まじく、厳しい食糧事情に体調を崩す楽団員も多数、 生活に追われるものもおり、楽団は絶体絶命の危機に陥った・・・ 昭和31年1月、様々な困難を乗り越えた群馬交響楽団は奇跡のコン サートを開く。「自分たちの第九を披露しよう」と群馬の夜に「歓喜の 歌」を響かせた。日本音楽界に今も語り継がれる、群馬交響楽団の伝説 のドラマを描く。 http://www.nhk.or.jp/projectx/library/library.html ── 《プロジェクトX 第127回 20031014 NHK》21:15-22:00
丸山 勝広 群馬交響楽団 19140331 群馬 19920228 77 〜映画《ここに泉あり》
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