与太郎文庫
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2003年07月26日(土) |
解剖学者の脳 〜 Oh no ! Don’t Be That Way 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030726 >> 犯罪者の脳について科学的にデータをとっておくということ自体は、 社会にとって有用なはずです。責任能力云々ということとは別に、「反 社会的行為」については脳のデータをとってもよいという合意を、社会 的に形成すべきではないか、と思うのです。実際に、犯罪を犯せば、少 なくとも指紋は強制的に押捺させられるのですから。(略) しかし、そうした問題があるからといって、出来ないと早々に判断す べき問題でもない。実際、現実世界ではすでに身体の能力によって様々 な制限が加えられているわけです。たとえば、赤緑色盲の人間は「信号 の赤青の区別が付かない」という理由で運転免許が取れない。 (P151-153) ピカソの絵は、一見メチャクチャに見えるかもしれません。しかしよ くよく見ていくと、やはり普通の人間ではない、天才の手によるものだ、 ということがよくわかります。 ピカソの絵については、岩田誠・東京女子医大教授が興味深い分析を しています。例えばキュービズム時代の絵は空間配置がメチャクチャで す。鼻が横を向いていて、顔が正面向いているというのがザラですから、 メチャクチャだと見られても仕方が無い。(P142-143) モーツァルトは、最初に発表されたときは、これが音楽かという批判 もあったそうです。当時としては最先端だったので、すぐに皆に理解さ れたわけではない。(P067) ── 養老 孟司《バカの壁 20030420 新潮新書》P151- << 当代随一の人気、書けば売れる著者の一人。こういうセンセイの講義 は、とどまるところなく興趣あふれているが、あまりにも面白いために、 専門外の論調には、しばしば勇み足がみられる。
1=「赤緑色盲の人間は運転免許が取れない(P153)」。与太郎は、 いまも免許をもっている(最後にハンドルを握ったのは十数年前だが)。 かつて閉ざされていた美術学校や医学部・薬学部の門戸も、数年前から 開放された。(この問題は、他日くわしく論じたい)いまや「色盲」は 差別用語となったか、IME変換には標準装備されていない(色弱=可)。 >> 来年度から色盲検査が全廃するらしい。学校や就職にあたっての差別 をなくすためだという。色覚障害HPに《ぱすてる》など。 東京大学教授・伊藤 啓(平安女学院大教授の故人は同姓同名の別人)。 ── 《色覚バリアフリー 20021124 18:00-18:20 TBS報道特集》 << 2=「ピカソの絵は、天才の手に、ということがよくわかります」 与太郎は、赤緑色弱を隠して美術学校に不正入学し、一年余りで中退 している。模写の課題でピカソの《葡萄とギター》を提出したときに、 秋田健三助手が「ピカソはすばらしいね」といってくれたのを思いだす。 絵を描くことをめざしている者には通じるものの、ふだん絵など描か ない人たちが、口をそろえてゴッホやピカソを賞賛するのは、いまなお 合点がいかない。ヨーロー先生は解剖学者だから(絵心はともかくも) 精密描写の技法には習熟されているにちがいない。だが、岩田センセイ は神経心理学者だから、なにぶんアマチュアである。 「キュービズム」のような概念は、批評家にとって都合がよくても、 芸術家のアイデアではない。 ゴッホやピカソを好きになることは、わるいことではないが、あまり 絶賛することは控えるべきである。ゴッホは生涯に数百枚も描いたが、 一枚しか売れなかったし、ピカソは売れすぎたのである。 クロウトが、彼らの作品を熱心に研究するのは、なぜかくも売れたか、 その秘密を知りたいがためである。 (彼らの自画像や、ヒン曲がった女の顔を、寝室に飾る人はいないのだ) 3=「モーツァルトは、これが音楽かという批判もあった」 与太郎の蔵書には、そのような記述は(どの一冊にも)見あたらない。 与太郎は、ヨーロー・ファンである。過剰なサービス精神こそが先生 の魅力なのである。この本の終章では「虚の経済を切り捨てよ」という 提言がすぐれている。 (浴槽読書録より)
──────────────────────────────── ♀養老 静江“女医七十年”1899‥‥ 鎌倉 19950322 95 孟司の母 養老 孟司 解剖学 19371111 鎌倉 元・東京大学教授〜唯脳論 岩田 誠 神経内科学 19421005 東京 東京女子医大教授
(20230217 sub title 追記)
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