与太郎文庫
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2003年07月11日(金)  勧善懲悪

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030711
 
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 鴻池だより 第93号 15.7.11
 
 梅雨前線が北上したようで今日の東京は晴。でも沖縄と長崎の少年犯
罪のニュースになんとも重苦しい昨今です。彼らは少年法によって、刑
罰は適用されません。複雑な気持ちです。
 この種の事件が起こるたびに何と理不尽な不条理なことよ、といつも
思うことがあります。それは被害者の家族の悲しみ、嘆きは映像に何度
も出て来ますが、加害者の顔は全く出てこない。被害者の方に人権がな
く、犯人側、加害者の人権が大事にされすぎているのではないか。何か
間違っているのではないか。殺人事件を起こした犯人である子供の親が
どうして出て来ないのか。まず親が被害者の家族に、又、社会に謝る事
がもっとも大事なことではないか。
 戦後の教育方針は多くの間違いがありました。ここで大反省をして、
やり直す必要があります。単に「おもいやり心を育てよう!!」なんて
スローガンのみの青少年育成政策なんてむなしいことです。
 「ご先祖様に申し訳ない」
 「弱いものを殴りつけるのは卑怯者」
 「お年寄りを大切に」
 言えば限りがありませんが、戦後の教育、特に親が子供に言って来な
かった、又、こんなあたりまえのことを子供に伝えることが出来なかっ
た教育の結果じゃないでしょうか。 私自身も多くを反省しながら政治
家として教育問題、青少年育成問題に取り組んでまいります。
 週末は親しい県会議員のお祝いごとに出席し、月曜日の国会で私の出
番がなければ、姫路市で講演、そして「特区」の現場を視察致します。
明るいニュースが聞きたいものです。
 7月11日 午後12時半 議員宿舎にて
 
 国務大臣 防災担当大臣 構造改革特区担当大臣  鴻池 祥肇
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 鴻池 祥肇 19401128 兵庫県尼崎 神戸高校卒 早稲田大学教育学部卒

── 好きな言葉「一期一会 信なくば立たず」
── 《いま、日本病を撃て 〜 傍観者の時代への決別 〜 徳間書店》
 
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 鴻池防災相の“打ち首”発言は不適切だった…首相
 2003 年 7 月 11 日 Yomiuri On-Line
 長崎市の男児誘拐殺人事件に関連し、鴻池防災相が「(加害者の)親
は打ち首にすればいい」などと発言したことについて、小泉首相は11
日夕、首相官邸で記者団に「不適切な発言だった」と語った。
 鴻池防災相は同日、秘書官を通じて「発言は不適切で良い表現ではな
かった。被害者ばかり取り上げられているのでひと言、言いたかった」
とのコメントを発表した。
 これに対し、野党は「少年の責任能力が問えないからと言って、親の
責任を問うことは筋が違う」(岡田民主党幹事長)、「大臣として不適
格。首相の任命責任も問われる」(福島社民党幹事長)などと厳しく批
判した。
 
 鴻池発言「勢い余った」=福田官房長官
 2003 年 7 月 11 日 時事通信
 福田康夫官房長官は11日午後の記者会見で、長崎市の男児誘拐殺人
事件に関し、鴻池祥肇防災担当相が「親を打ち首にすればいい」などと
発言した問題について「ちょっと勢い余ったという感じだ。打ち首とい
う言葉もあまり良くなかった。本人も適切なことでなかったと述べてお
り、注意していただきたい」と述べた。
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「加害者の親を、市中引き回しの上、打ち首にすればいいんだよ」との
発言の真意を問われ、テレビのぶらさがり質問に答える。
「東映映画でよくやってるじゃない。私の好きな《水戸黄門》もそうだ
が、日本人は勧善懲悪なんだよ。打ち首というのは、もののたとえでね」
 
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 国家権力と離れた場所で彼女は「死刑台」を見た  牧 太郎
 
「江戸市中引き回しの上、打ち首獄門」。北町奉行の“遠山の金さん”
のセリフはいつも決まっている。
「大衆の要望に沿って、見せしめを行った上で死刑執行」。
 時代劇の“金さん”は犯罪防止の観点から、或いは当時の道徳から、
〔引き回し=見せしめ〕が何よりも必要──と言う法理論をかたくなに
持ち続けていた。
 江戸時代のジャーナリスト・瓦版屋は、その死刑執行の模様を克明に
報道した。(略)
 ところが、現代の「犯罪報道」には“死刑執行”の部分が欠落してい
る。(略)
 歳月が流れ、死刑が執行される。死刑執行の情報は、特別のケースを
除いて、まず報道されない。国家が公表しない場合が殆どで、新聞記者
も、雑誌記者も、放送記者も、気がつかないケースが圧倒的である。前
代未聞だったハズの大事件を彼らは忘れている。気がついたとしても、
処刑の模様で、紙面を大きく割くことはない。
 現代のジャーナリズムは、犯罪報道には熱心だが、国家権力による合
法的殺人「死刑」を克明に報道するのが極めて少ない。処刑のドラマを
描くのは不得意、と言ってもいいだろう。
 作家、大塚公子は、いま時、珍しい「死刑執行報道人」である。既に、
この本を含めて「死刑もの」を三冊書いている。      (解説)
── 大塚 公子《死刑囚の最後の瞬間 19960730 角川文庫》P207-210
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── 殺された死刑囚の名前と、殺した法務大臣の名前が一般にも知ら
れるようになったのは81年からのことである。
── 《実録戦後殺人事件帳 19980408 アスペクト》P223
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